椿姫
La traviata


 

椿姫(つばきひめ) ジュゼッペ・ヴェルディが1853年に発表したオペラ
原題は『道を誤った女』を意味するLa traviata(ラ・トラヴィアータ)

オペラといえばイタリア、イタリアを代表するオペラ作曲家といえばヴェルディだが、そのヴェルディの代名詞のような作品が「椿姫」。観客動員、上演回数共に常にトップクラスを保ち続ける不朽の名作です。
主人公の高級娼婦ヴィオレッタと青年アルフレードの純愛、またアルフレードを思うがゆえに身を引くヴィオレッタの崇高な愛が、時代を越えて多くに人々の共感を呼んでいるのでしょう。

初演は1853年3月6日、ヴェネツィアのフェニーチェ劇場で行われました。(1853年といえばアメリカ使節のペリーが浦賀に来航した年)

しかし、準備不足(作品の完成から初演まで数週間しかなかった)に加え、結核で死ぬべきヒロイン=ヴィオレッタを歌うソプラノ歌手があまりにも健康的で太っていて少しも病人らしくなかったことなどから、初演では聴衆からも批評家からもブーイングを浴び、歴史的大失敗を喫しました。
肺病で医者から危篤を宣告される最後の幕では観客から失笑が起こり悲劇どころではなくなってしまったのでした。(蝶々夫人、カルメンと共に有名オペラの3大失敗ということがある)

しかしヴェルディは「この歌劇の真価は、やがて時が証明してくれるだろう」と作品に対する自信を崩しませんでした。そして、その言葉通り、翌年の同地での再演は成功を収め、以後、オペラの中のオペラとして愛され続けることとなるのです。


登場人物青字は男性、赤字は女性)

ジョルジョ・ジェルモン(父親) アルフレード・ジェルモン(南仏プロヴァンス出身の若者)
ヴィオレッタ・ヴァレリー(高級娼婦)
ドゥフォール男爵(ヴィオレッタの当初のパトロン)

ストーリー


 

第1幕(ヴィオレッタのサロン)

劇中の名アリア群と並んで人気の高いのが第1幕への前奏曲。
短調の導入部はこれからヴィオレッタに起こる悲劇を暗示するかのように静かに始まる。
またタンゴにもなった主旋律も、どこか哀しげな影が漂っている。

  (第一幕前奏曲)
ヴィオレッタの招待で多くの人が晩餐会に来ている。
この晩餐会は遊び好きのパリの金持ち男性や高級娼婦たちが集まってきており、
食事やダンスをしながらカップルとなったものたちはいつのまにか2人でどこかへ消えて
翌朝まで過ごすというシステムになっている。
今日来た客の中にはまだ遊びなれていないアルフレードという若者がいた。
アルフレード
ヴィオレッタに本気で愛を語り、頭に浮かんだ詩を即興で歌い始めた。

(乾杯の歌)

(アルフレード)
杯を いざ喜びの杯を
麗しき美女とともに 過ぎてもどらぬ このひととき
快楽を求めて
 この美酒の杯に いや増す ときめき
憧れの まなざしは
 心誘い 惑わす
杯を いざ愛の杯を
 熱き口づけにむけて
愛の杯 熱き口づけに向けて

(ヴィオレッタ)
皆様と堵一緒いたしたしましょう
 この 喜びのひとときを
人の世は 愚かしいことばかり
 快楽のほかは
ならば ひたすら楽しみましょう
愛の喜びとて ほんのつかの間
咲いて散る花のように
 二度と望めぬのであれば
さあ 楽しみましょう
 甘い言葉にさそわれるまま

(合唱)
この一夜 さあ輝きが増す
 祝杯と歌 そして笑いに
さあ この楽園に迎えよう
 新たな 喜びのひとときを
人生は楽しい宴のため
 人を愛さぬうちならば
愛と無縁の者に そのようなこと・・・
でもわたしはそうなる運命と・・・

この一夜 いよいよ輝きが増す
祝杯と歌 そして笑いに
 さあこの楽園で心ゆくまで
新たな 喜びのひとときを
さあ 新たな喜びのひとときを

 

「乾杯の歌」は歌劇の開幕から間もない、第1幕のはじめに登場する有名な歌だ。
ヴィオレッタのサロンを訪ねたアルフレッドが、周囲に勧められてまず歌いだし、
続いてヴィオレッタが2コーラス目を、最後には全体合唱で同じ旋律を歌い、歌劇の始まりを盛り立てる。

体調がすぐれないヴィオレッタを介抱するアルフレードは、彼女の体を心配しながらも抑えきれない胸のうちを告白する。
最初は冗談だと思って相手にしなかったヴィオレッタだったが、アルフレードのあまりにもの熱心な姿に感動して心がどんどん傾いていく。

(そはかの人か)

ああ、たぶんあの方だわ!
おののきの中にひとりぼっちの魂が
幾たびか神秘な絵の具で描き楽しんでいたのは
あの方だわ!
控えめで注意深く悩める心の扉にあらわれ
恋に私を目覚めさせ新しい情熱を燃え立たせたのは
その恋に、それは全宇宙の鼓動であり
神秘的で誇り高く心には苦悩となり歓喜となる

 


第2幕

アルフレードの父ジェルモンが歌う
アリア「プロヴァンスの海と大地」

あのプロヴァンスの海と大地
誰が お前の心から消し去った
あの故郷の輝かしい太陽
いかなる運命が お前から奪った
思い出すがいい 悲しいなら
あの喜びの日々を
あの地には 今なお お前の安らぎがあるのを
あの地で 今また 心安らげるのを
神様のお導きなのだぞ わたしがここへ来たのは

 

お前にはどれほどか分かるまい
老いた父の この苦悩
お前が 遠く家を去ってから
我が家は 悲しみに包まれていた
だが お前に会え わたしの希望が潰(つい)えなかったのは
お前の心に名誉の声が まだ聞こえていたのは
お前に また会え わたしの希望が潰えなかったのは
神様が聞き届け給うたのだ
私の願いを
神様がわたしの願いを
お前に会え、希望が叶った
それは神の御心だ

 

第3幕(パリのヴィオレッタの屋敷)

ヴィオレッタの生命は尽きかけていた。持病の肺結核が進行していたのである。

幕が上がると、ヴィオレッタがベッドに寝ている。
彼女はアルフレードの帰りを今か今かと待ちわびている。
何度となく読んだジョルジョからの手紙をもう一度読む(ここは歌わずにほとんど朗読する)。
読み終わった彼女は一言「もう遅いわ!」と叫び、過ぎた日を思って歌う(「過ぎし日よ、さようなら」)。
「ああ、もう全ておしまい」と絶望的に歌い終わると、外でカーニバルの行進の歌声が聴こえる。

医師がやってきてヴィオレッタを診察し励ますが、アンニーナにはもう長くないことを告げる。
そこにとうとうアルフレードが戻ってくる。再会を喜ぶ二人は、パリを出て田舎で二人楽しく暮らそうと語り会う(「パリを離れて」)。
しかし、死期の迫ったヴィオレッタは倒れ臥す。あなたに会えた今、死にたくないとヴィオレッタは神に訴える。
そこに医師や父ジェルモンが現れるが、どうすることもできない。
ヴィオレッタはアルフレードに自分の肖像を託し、いつか良い女性が現れてあなたに恋したらこれを渡して欲しいと頼む。

彼女は「不思議だわ、新しい力がわいてくるよう」といいながらこと切れ、一同が泣き伏すなかで幕となる。


結婚式の乾杯の歌
結婚式でスピーチを頼まれるたときにいつも悩んでしまうのは、スピーチで禁句とされる言葉(切る、別れる など)を使わずにいかにして出席者の客を笑わそうかということでしょうか。
ところで、結婚式で仲人による新郎新婦の紹介が終われば次は主賓による乾杯と続きます。
出席者一同が「乾杯!」と唱和したところでほぼ間違いなく流される音楽が椿姫の「乾杯の歌」です。
あれあれ、椿姫のオペラってハッピーエンドでしたっけ?
そもそも「乾杯の歌」が歌われるのは高級娼婦が主催する目的はひとつのあやしいパーティー会場での話。
しかもその後、せっかく平和に暮らしていた2人のもとへ新郎の父親が無理矢理別れさせにやってくるという、どう考えてもおめでたくないオペラのはずだったのですが・・・。
結局「乾杯の歌」は知っていても「椿姫」は知らない人が大部分ということで、これからも「乾杯の歌」は結婚式で禁句(禁歌?)にならず演奏されることでしょう。


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