オペラで読み取るスペイン史
ラ・ファヴォリータ
シモン・ボッカネグラ
アンナ・ボレーナ


 

レコンキスタの推移地図

 

カスティーリャ=レオン王家家系図

 


 

♬オペラ「 ラ・ファヴォリータ」

アルフォンソ11世の二人の異母兄弟
ドン・ペドロとエンリケ2世

アルフォンソ11世(1311年〜1350年)はカスティーリャ王フェルナンド4世と王妃コンスタンサの唯一の男子で、レコンキスタを成功させ王権を強化した。正妻と愛妾の間に二人の子をもうけた。

@ペドロ1世(ドン・ペドロ=残虐王、正義王)(1334-1369)
王妃マリア(
従妹ポルトガル王の娘)との間の子
ドン・ペドロは母マリアをポルトガルに追放。
庶子のエンリケと敵対し、エンリケの生母レオノーラを処刑した。
→ドン・ペドロの生涯〜アルカサル王城

Aエンリケ2世(1334-1379)
愛妾レオノーラとの間の子

エンリケはトラスマタラ伯爵家へ養子に
出されたが王の近くで育つ。

ペドロ1世を破ったエンリケはエンリケ2世として即位し、トラスタマラ王朝の祖となり、後のスペイン王国誕生の基礎を築き上げた。
エンリケが改築したセゴビアのアルカサルは現在世界遺産。

アルカサル王城

ペドロ1世

エンリケ2世

エンリケ2世の4世代後がイサベル女王である。

 

ラ・ファボリータ

ファボリータとは英語でいう「Favorite」で、国王の愛人の意味。

修道士フェルナンドが恋したのは、こともあろうにアルフォンソ11世愛妾レオノーラ
フェルナンドは父親で修道院長のバルダッサーレに恋心を打ち明けるが、修道院から追放される。
イスラム教徒との戦いに勝利して凱旋したフェルナンドは褒美としてレオノーラを求めるが、レオノーラが王の愛人だったことを知らされ失意のうちに修道院に悖る。
レオノーラは騙すつもりはなかったと許しを請い、フェルナンドはそれを許すが、レオノーラはフェルナンドの腕の中で息絶えてしまう。


 

♬オペラ「シモン・ボッカネグラ」

ヴェルディの歌劇に描かれたシモン・ボッカネグラ

ボッカネグラ家は13世紀になってジェノヴァ史に登場する平民の家系であったが、シモンは、1339年、ジェノヴァにおける初代の終身ドージェ(統領)の地位に就く。

ボッカネグラ家は、海の民でもあった。東方の商業で活動した人物、ルイ9世の十字軍に従軍した人物など海の向こうで活躍する人物を輩出しており、シモンの兄弟エジーディオは、ジェノヴァの艦隊を率いてカスティーリャ王ペドロ1世を支援している。
シモンの統治の時代のジェノヴァは、ヨーロッパを席巻した黒死病による人口激減に加え、当時の商業圏の拡大にも限界が見え始めた時期でもあり、経済的苦境に立たされ始めていた。

中世の平民のエネルギーは、近世のジェノヴァ共和国では忘却の彼方にあったが、民衆運動と革命の19世紀のなかで生まれたヴェルディのこの作品によって、ジェノヴァ人の記憶のなかのシモン・ボッカネグラは再生する。

ジェノヴァの有力貴族の邸宅群は現在世界遺産の指定を受け、荘厳で格調高い街並みの中に息づいているが、海の民であったシモン・ボッカネグラは、ヴェルディの音楽に乗せて、故郷ジェノヴァを超えて世界各地を駆け巡り、自らと中世のジェノヴァのたくましい精神を伝えているのである。


 

◎ イサベル女王

エンリケ2世の子、ファン1世の二人の子供
エンリケ3世とフェルナンド1世

エンリケ2世→ファン1世→エンリケ3世→ファン2世→イザベル1世

カスティーリャ・レオン王国紋章

ファン1世(1358-1390)は二人の王子を生む
ファン1世の長男は11歳でエンリケ3世として即位し、カスティーリャを統治する。ドン・ペドロの孫カタリナと結婚。ドン・ペドロとエンリケは孫の代で融和
したことになる。

エンリケ3世(病弱王)(1379-1406)の長男がファン2世。

ファン2世(1405-1454)とアラゴンのマリアとの間の子がエンリケ4世。
ファン2世とポルトガルのイサベルとの間の子がイザベル1世

フアン2世の長女こそが後のスペイン王国の黄金期を築いたカスティリャ女王イサベル1世(1451-1504)。

イサベルが生んだ子供たち 

1.イサベル(1470-1498)

母と同じくイサベルと名付けられた長女は、ポルトガル王ジョアン2世の息子アフォンソ王太子と結婚するが、翌年死別し帰国。1497年マヌエル1世と再婚。

待望の長女誕生を喜ぶ両王 イサベルはポルトガルアフォンソ王太子に嫁ぐ

2.ファン(1478-1497)
唯一の男子だったが、フィリップ美公の妹マルガリータと結婚後間もなく夭折。

唯一の王子ファン

 

3.ファナ(1479-1555)
ファナはイサベルの母の精神異常が覚醒遺伝し、狂王女と呼ばれる。ハプスブルクのフィリップ美公と結婚し、カール5世を生む。

4.マリア(1482-1517)
姉イサベルの死後、マヌエル1世の王妃となる。

5.カタリナ(1487-1536)
5女キャサリンは英国アーサー王子に嫁ぐが、アーサーの死により、弟のヘンリー8世と結婚し王妃となる。
イングランド王、メアリー1世を生むが、後に離縁される。
⇒オペラ「アンナ・ボレーナ」

 

1500224日 カール5世誕生

イサベル女王の孫(狂女ファナの子)

1500年という区切りの年、カール5世はイサベル女王の3女ファナとフィリップ美公の間に生まれた。
スペイン系ハプスブルク神聖ローマ帝国皇帝、カール5世(スペイン王としてはカルロス1世)

スペイン王カルロス1世は、ナポリ王国、シチリア島、サルディニア島、新大陸のスペイン領、フランドル・ブラバンドを含めたネーデルランドなどを、また弟フェルディナントはオーストリア、ボヘミア、ハンガリーなどと、ヨーロッパ全体をわずかの領域を除いてハプスブルクが統治するこっとなった。中世最盛期のカール大帝以来、ハプスブルクは実に空前絶後の高みに達したのである。

カール5世の長男がフェリペ2世(フィリッポ2世)。
⇒オペラ「ドン・カルロ」

 

◎ヘンリー8世

イギリスの国花はバラ

遠い昔、「バラ戦争」の結果生まれたチューダー・ローズ。白バラを家紋とするヨーク家と、赤バラのランカスター家の、この何とも優雅な名前の戦争は、王位継承権を巡り30年間も争ったのちに、妥協の産物としてチューダー王家を生み出した。
花びらを5枚持つチューダー・ローズ。  

ヘンリー8の6人の妃たち

英国史上に燦然と輝く悪名高き絶倫男。何と6人もの女性を妻にした。

妻1:スペイン王女キャサリン(1485-1536)
ヘンリー8世(1491-1547)は兄のお古は嫌だとキャサリンと離縁。カトリックでは離婚は許されない。時のローマ法王クレメンス七世は離婚申請を却下す。ヘンリー8世はローマ法王の世話にはならないと、英国独自の宗教を創設。これが今もイギリスに残る英国国教の成立。ウエストミンスター寺院がその総本山。
キャサリンが生んだ女の子が後の女王メアリ。

ヘンリー8世の息子エドワード6世の治世で英国国教は一層進展するが、スペイン出身でカトリックの信仰が厚いメアリにはそれが面白くなく、新教徒を虐殺。
その時に流れた赤い血がブラディ・メアリ(血塗られたメアリ)の語源。トマトジュースはその血を表現。

メアリは新教徒弾圧のため、新教徒に人気の異母妹すらもロンドン塔に押し込めた。この異母妹(アン。ブーリンの子供)こそが、後の英国の母、エリザベス1世。
1554
年、英国女王メアリーは1世は11歳年下のスペイン王フェリペ2世と結婚するが子供は設けないまま在位5年で死去。

メアリー・ブーリン アン・ブーリンの姉  

妻2:アン・ブーリン(1500-1536)
(メアリー・ブーリンの妹。フランス宮廷で洗練)

フランスから戻ったアンはその洗練された身のこなしと美しさでヘンリー王を魅了。愛人ではなく王妃となるために王にキャサリンとの離婚を要求。
1533
年、ヘンリー王は彼の子を身篭ったアンと結婚。アンはついにイングランド王妃の座に登り詰めた。
しかし、アンが出産したのは女の子(後のエリザベス1世)。

1536519日、ヘンリー8世は非道にも、不義の名目で王妃アンをロンドン塔内の小さな広場で首をはねて処刑。

かのロンドン塔の主人公、ヘンリー8世がオックスフォード教区の大聖堂として創設したクライストチャーチ・・・。 映画「ハリー・ポッター」で魔術学校のホールの撮影舞台となったグレイトホールでは、沢山の燭台が幻想的にその灯を揺らせている。  
⇒オペラ「アンナ・ボレーナ」

妻3:ジェーン・シーモア(1509-1537)
(アン・ブーリンの侍女)
アン・ブーリン処刑の翌日に婚約発表。
1537
年、王妃ジェーンは待望の男子を出産(後のエドワード6世)
難産の結果、体力が回復しないジェーンは息を引き取る。ヘンリーと墓所を共にしている唯一の王妃。
 

妻4:アン・オブ・グリーヴズ(1515-1557)
ドイツのプロテスタントの有力貴族、クリーヴスの娘。離婚後はエジンバラのヒーヴァー城で静かに余生を送った。

妻5:キャサリン・ハワード(1521-1542)
ヘンリー8世の目を盗み不貞を重ねた結果、処刑。

妻6:キャサリン・パー(1512-1548)
ヘンリー8世を看取った良妻。

♬オペラ「アンナ・ボレーナ」

 

 

 

ヘンリー8世のライバル、フランソワ1世

フランソワ1世(1515〜1547)の子がアンリ2世

アンリ2世の長女がエリザベッタ
⇒オペラ「ドン・カルロ」

 

 ♬ドン・カルロ

 

カール5世の長男がフェリペ(フィリッポ)2世

エリザベッタ
エリザベート・ド・ヴァロア
後のフランス王アンリ2世と妃カトリーヌ・ド・メディシスの長女としてフォンテーヌブロー城で生まれた。

 

◎イサベル後の欧州史

 

 

15041126日 イサベル女王死去

1547128日 ヘンリー8世死去
王妃キャサリン・パーに見守られ、ヘンリー8世は58歳で他界した。

 

16033月 エリザベス女王崩御。

後継者にスコットランド王ジェームス6世を指名。ジェームス6世はイギリス王を兼ねてジェームス1世として即位。
ここにチューダー王朝は断絶し、スチュアート朝に引き継がれた。

1707年にイギリスとスコットランドが合併してグレート・ブリテンが結成される。

 

♬ランスへの旅

 

1825年に挙行されたフランス国王シャルル10世の戴冠式を描いたオペラ