その後のキリスト教
1541年:ミケランジェロ「最後の審判」除幕式
1517年:ルターの95か条の抗議文
グーテンベルクの印刷技術に乗ってヨーロッパ全土を揺るがす大事件に波及
1521年:ルターの破門
プロテスタント:ルターの改革に賛同する新教派⇒今日でも教会には十字架しか置かれない。
カトリック:ローマ教会の傘下にある旧教派⇒プロテスタントに対する巻き返し戦略の頂点⇒ミケランジェロ「最後の審判」⇒失われたローマ教会の権威の挽回⇒人類史上初のメディア戦争
いわば反宗教改革戦略の切り札としてのミケランジェロの起用であったが、いざ作品ができあがってみると、画面は伝統的な教会の権威を補強するどころが、それ自体が異端とも言うべき強烈な前衛性に満ちていた。
偶像礼拝の禁止⇒宗教画の破壊⇒美術市場での顧客の消失⇒風景画・静物画の誕生
1962年:第二ヴァチカン公会議⇒カトリックがプロテスタントと和解
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