宗教画理解の手引き


 

第八章 ヨーロッパ美術史

 

キリスト教の影響濃い中世美術

 紀元前五世紀頃,アテネの最盛期はそのままギリシア時代の黄金期でもあった。アクロポリスに建てられたパルテノン神殿はその一つの結実である。ローマ美術にはギリシア美術の影響も色濃い。ローマ固有の建築様式としては,円形の闘技場「コロッセオ」などがある。古代ローマから中世に至るヨーロッパ美術は,「キリスト教美術」と呼ばれる。四世紀にキリスト教が国教として認められると,教会堂を飾る壁画や彫刻が制作されるようになった。題材にはキリスト教や聖母・聖人などが選ばれた。

  10世紀からはロマネスク様式の時代に移る。ロマネスクとは「ローマ風」の意味で,美術や学問の中心は修道院であった。壁が厚く窓が小さい,重厚な建築様式がロマネスク時代の特徴である。フランス,ブルゴーニュ地方のクリュニー修道院,イタリア,ピサの大聖堂と斜塔などが典型的な例として知られている。12世紀に北フランスで興ったゴシック美術は,ロマネスク様式の延長上にあると位置付けられている。ゴシック建築はロマネスクと異なり壁が薄く,アーチや塔を多用している。12世紀後半にはパリのノートルダム寺院,シャルトルの大聖堂など,本格的なゴシック式聖堂が次々と建てられていった。  

 

イタリアに始まったルネサンス時代

 「古典文化の再生」を提唱するルネサンス運動は,15世紀のフィレンツェに発生した。この時代には優れた芸術家や詩人がきら星のように出現する。出発点となったフィレンツェでは,リッピアンジェリコといった宗教画家がいた。当時の主流は,聖堂の壁を飾るフレスコ画である。ルネサンス文化が盛んになったのはパトロンの存在が大きく,フィレンツェではメディチ家が芸術家を保護していた。ボッティチェリ「春」「ビーナスの誕生」は初期ルネッサンス美術の代表作である。ルネサンス美術はローマやベネチアにも広がり,15世紀末から16世紀初めに掛けて最盛期を迎えた。「モナリザ」ダ・ビンチシスティーナ礼拝堂の天井壁画を描いたミケランジェロ。さらにラファエログレコなどの巨匠が現れ,数々の傑作を残している。ルネサンスの精神は他国にも波及した。ブリュッセルで活躍したブリューゲルもこの時代の人である。

 

宮廷文化が生んだバロック美術

 ルネサンス時代に続く17世紀の美術は,バロック時代と称されている。バロック美術を代表する芸術家として,彫刻ではイタリアのベルニーニ,絵画ではベルギーのルーベンスとスペインのベラスケスが挙げられる。バチカンのサン・ピエトロ寺院前の広場を囲む列柱廊はベルニーニの作品だ。ルーベンスはイタリアで美術を学び,アントワープで活躍した。バロック美術には宮廷芸術としての性格のほか,市民文化を反映している一面もあった。その特徴がオランダの絵画に表れている。それまでの絵画といえば,君主や貴族の求めで制作されるのが通例だった。ところが17世紀のオランダには商業で裕福な市民層が生まれ,彼等はもっと分かりやすい庶民的な風景画や肖像画を望んだ。そのオランダ絵画の中で最も有名な画家はレンブラントである。代表作「夜警」は,自警団の肖像画として描かれたものだ。またフランスのハルスも肖像画を得意とし,当時の市民の様子を生き生きと伝えている。裕福な市民ばかりでなく,スペインのムリーリョは庶民や貧しい層にも題材を取った。

 18世紀に入ると,より自由で軽妙・優雅な芸術が生まれ,一般にロココ美術と呼ばれる。特にフランスで発展し,ブーシュなどが官能的・快楽的な作品を残している。18世紀後半のナポレオン時代は,古典主義の絶頂期であった。ナポレオンの宮廷画家を務めたダビッドは,この時代を代表する画家である。しかし古典主義の形式主義にあきたらない若い芸術家たちの運動により,19世紀になるとロマン主義が台頭した。感情性溢れる作風のロマン主義の先頭に立ったのは,ジェリコドラクロワ,スペインのゴヤなどである。

 

写実派・自然派を経て20世紀へ

 19世紀後半にはロマン主義も退潮し,今度は自然や身の回りをありのままに描こうとする写実主義の時代を迎える。イギリスのターナーは,詩情豊かな風景画を数多く描いたことで名高い。またフランスではコローミレークルーベが登場した。ミレーは傑作「落穂拾い」に見られるように,社会の支配層ではない,農民や労働者の姿をテーマに取り上げている。

  写実主義の流れを受け継ぎつつ,これに続く印象派の先駆となったのがマネドガであった。マネには,カフェや娼婦など近代の都会生活を描いたたくさんの名作がある。ドガも踊り子や労働者を好んで主題に取り上げている。ルノワールには裸体画が多い。印象派で最大の画家といわれるのはモネ1874年にモネセザンヌドガピサロらが開いた展覧会で「印象派」という言葉が使われて以来,モネがそのグループの中心であった。

  印象派の流れはセザンヌを出発点とする後期印象派と呼ばれる一団に受け継がれる。西洋文明を嫌って南太平洋の島に移り住んだゴーギャン,強烈な色彩によって感情を表現したオランダのゴッホなどがこれに属する。独特の点描技法で知られるスーラなどもこの流れを継承している。20世紀初頭のヨーロッパ絵画ではまず,原色で大胆に表現するゴッホの影響を受けて強烈な色彩を駆使する「フォービズム」が興った。主要な画家としてブラマンクマチスなどがいる。これに対し,絵の構成・形態そのものを変えてしまおうとする「キュービズム」があり,ピカソはその代表的な存在であった。大作「ゲルニカ」はナチス・ドイツがバスクの小村,ゲルニカを無差別爆撃したことに抗議して描いたものである。

  19世紀末期には,「アール・ヌーボー」はじめとする多彩な芸術工芸運動が,ヨーロッパで巻き起こった。産業技術の発展と大量生産システムがもたらした画一性を打破し,新しい美学を求めようとする試みで,影響が及んだ分野は美術・デザインから建築・ポスター・挿絵まで広範囲に渡る。先駆となったのはイギリスの美術・工芸家,モリスであった。ベルギーのオルタヴァン・デ・ヴェルデ,フランスのギャレ,オーストリアのクリムト,スペインのガウディなどが代表である。

 アール・ヌーボー20世紀のモダンアートの起源だったとも位置付けられている。モダンアートが開花するのは1920年代,30年代になってからで,シュールレアリスムアール・デコなどが生まれた。幻想的・無意識的世界を追求したシュールレアリスムではエルンストダリなどの名が知られる。アール・デコアール・ヌーボーに続くスタイルとして後年名付けられたもので,1920年代から急速に広まる映画・ジャズからファッションに至る大衆文化・ライフスタイルを指す。「シャネルの五番」もT型フォードもこの時代の産物であった。