憧れのオリエント急行で行く
ニース、モンサンミッシェル、パリ8日間


オリエント急行公式サイトに掲載された山下さんの体験記へ


 

  Best Shot

燦燦と太陽を受けて、群青色に輝く紺碧海岸

夕陽に浮かび上がるモンサンミッシェル

 

            

 

  ニース

エズ山頂よりの地中海

ニースの海岸

紺碧のコートダジュール

モナコ王宮

モナコ、王宮と衛兵と国旗

モンテカルロ、グランドカジノ

ニース、名門ネグレスコホテル

今回宿泊のウエストエンドホテル

ニース、プロムナード・デ・ザングレ

 

  オリエント急行

ニース駅、オリエント急行乗車 コートダジュールの夕暮れ

オリエント急行、豪華ディナー

優雅なダイニングカーにて乾杯! 夕食後はバーラウンジにて
ピアノの生演奏で寛ぎます
朝8時、パリの町が見えてきた

 

  モンサンミッシェル

ルーアン大聖堂 ルーアン大聖堂鐘楼

朝日に輝くルーアン大聖堂

ルーアン、町の大時計 ジャンヌ・ダルクが火刑された広場 モンサンミッシェルの干潟
モンサンミッシェル中庭 大空を飛ぶ鷲と黄金のミカエル像 夕陽を浴びるモンサンミッシェル

 

  パリ

ルーヴル美術館、サムトラケのニケ サント・シャペル一階のステンドグラス サント・シャペル二階のステンドグラス
光りに煌くセーヌ川 パリ、オペラ座 凱旋門の展望台よりのシャンゼリゼ大通り
凱旋門の螺旋階段 ゴージャス銘酒とエッフェル塔 セーヌ川ディナークルーズ
歌手パメラさんとエッフェル塔
ベルサイユ宮殿、鏡の間よりの庭園 ベルサイユ宮殿、鏡の間のシャンデリア 水仙が咲き乱れるベルサイユ宮殿庭園

 

オリエント急行

イギリスに世界で初めて鉄道が誕生したのは1825年のことである。

それから50年・・・・1872年、オリエント急行の生みの親、ナージェル・マッケルはワゴンリー社を設立し、パリ〜ウィーン間にワゴンリーを走らせることに成功した。ヨーロッパ中をあっと言わせた「ワゴンリー社のデラックス列車の時代の幕開け」であった。パリとウィーン、この伝統あるヨーロッパの二都市を結んで走る・・・・デビューには格好の舞台であった。そして奇しくも同じ年に、極東の日本でも新橋〜横浜間に鉄道が営業運転を開始した。

1889年6月1日、パリからコンスタンチノーブルまで陸路を一直線にオリエント急行が快走し、ヨーロッパと東方世界がダイレクトに結ばれることになった。ヨーロッパの火薬庫=バルカン半島に向かって....

1906年、シンプロン・トンネルが開通した。スイスとイタリアの国境に位置する標高2009bの高さにあるシンプロン峠・・・・。アルプス山脈を貫くこの大工事により、フランス、イタリア、さらに地中海が一気に結ばれることになった。

1934年、アガサ・クリスティーの「オリエント急行殺人事件」の舞台となったことで、オリエント急行の名は鉄道ファンのみならず世界中に知れ渡っていった。

しかし、1977年5月1日、パリを出発したオリエント急行を最後に、この鉄道の王様はヨーロッパの鉄路から姿を消し、百年に渡るオリエント急行の栄光の歴史に幕を降ろすのである。

アジア側とヨーロッパ側に分かれたイスタンブールの町。この町のヨーロッパ側のはずれ、港の近くにオリエント急行の終点、シルケジ駅がある。西暦324年、コンスタンチヌス大帝がこの地を首都に定めてからビザンチン、オスマン帝国として実に1600年のに長きにわたって世界に君臨し、今も、トルコ人・ギリシャ人・ユダヤ人達が一緒に生きているこの町は、ヨーロッパともアジアとも違うダイナミックな魅力を持っている。かつて、オリエント急行のオリエントという言葉の響きが、ヨーロッパの人々をどんなに魅了したことか...

オリエント急行は東洋を走ったわけではない。西ヨーロッパの人々の夢を乗せて「東洋へ向かって」走ったのである。今再びヨーロッパでもオリエント急行が人気であるが、古き良き時代のデラックス列車を偲ぶというだけではなく、この根底には変わらぬ東方世界への憧れが今も脈々と流れているのである。