1519年:フランソワ1世フランス国王に即位

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父=シャルル・ドルレアン
母=ルイーズ・ド・サヴォワ
配偶者=クロード・ド・フランス
次男=アンリ2世
ヨーロッパは皇帝カール5世対仏王フランソワ1世の一騎打ちという形で展開される。二人を主役とすれば、脇役はローマ法王レオ10世、クレメンス7世、英王ヘンリー8世、トルコのスレイマン大帝となる。そして大きな筋書きとして次の二点が確認される。「フランスは、スペインと神聖ローマ帝国によって包囲されたことに非常な恐怖を覚えた」。「ローマ法王はカール5世の絶対的権威を恐れるあまり、法王庁の権益を守ためにはいかなる手段でも講じようとする」。
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フランソワ1世
1494-1547
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1520年:カール5世戴冠

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父=フィリップ美公(ハプスブルク)
母=カスティーリャ狂女王ファナ(イサベルの4女)
子=フェリペ2世
1555年から翌年にかけてのカール5世の退位はきわめて劇的で感動的だった。皇帝はまずブリュッセルでブルゴーニュゆかりの金羊毛騎士団の団長を辞し、ネーデルランドの統治を嫡子フィリップに委譲した。さらにはカスティリア、アラゴン、ナポリ、シチリアそして新大陸の君主の地位を捨てた。スペインの最も格式が高いサンチャゴなどの三大騎士修道会の団長を辞任した。世界に君臨した不世出の皇帝は、あらゆる官職を惜しげもなく捨てたのである。波瀾万丈の生涯を終えた皇帝は「モット先へ=プルス・ウルトラ」という人生の標語を残しつつ、1558年9月21日、永遠の眠りについた。
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カール5世
1500-1558
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1527年:フェリペ2世生誕

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父=カール5世(カルロス1世)
母=イサベル・デ・ポルトガル
子=ドン・カルロス
フェリペ2世の名を世に高らしめたのは、イスラム教徒とキリスト教徒の歴史的対戦として有名な1571年のレパントの海戦である。西欧軍の総師として活躍したのは、カール5世の庶子ドン・ファンダウストリアだった。
レパントの海戦のあった1571年の前後20年間が、スペイン王国の最盛期だった。フェリペ2世の統治を最もよく象徴するのは、エスコリアル宮殿の造営である。さらに彼はスペインの中央に位置するという理由でマドリッドを王国の首都と定めた。
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フェリペ2世
1527-1598
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1545年:ドン・カルロス生誕

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父=フェリペ2世
母=マリア・デ・ポルトガル
スペインがヨーロッパの覇権を失うのはイギリスの目覚ましい台頭による。スペインの誇る無敵艦隊は1588年英国に破れた。時代の趨勢から言って、すでにスペインのヨーロッパ支配は終幕していた。17世紀のスペインは、言ってみれば前世紀の遺産を食い潰してゆくようなものだった。しかしスペイン文化が円熟の極みに到達するのは、むしろ政治的には衰退してゆくこの17世紀においてである。グレコ、ベラスケス、ムリリョらのスペイン絵画は、この時代にこそ開花するのである。
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ドン・カルロス
1545-1568
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1547年:アンリ2世フランス国王に即位
(ヴァロア朝)
1558年:カール5世没
1559年:アンリ2世騎馬試合の不運

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父=フランソワ1世
母=クロード・フランス
配偶者=カトリーヌ・ド・メディシス
長男=フランソワ2世
長女=エリザベート(フェリペ2世に嫁ぐ)
アンリ二世の発案で騎馬試合が行われることになった。 6月30日午前10時。すでに太陽が高く上がった頃王妃カトリ−ヌが、今はスペイン王妃となった娘のエリザベト、嫁のメアリ・ステュア−トらを従えて、特別観覧席に登場する。
何より人目を引いたのはカトリ−ヌの格好だった。この晴れの日に彼女が身に着けていたのは、何と宮中の喪の色である紫色の衣装なのだ。果たして不吉な夢は現実となった。モンゴメリ−伯の先の砕けた槍が勢い余って国王の目に突き刺さり、こめかみを突き抜けたのだ。場内は騒然となって、カトリ−ヌは其の場に気絶した。
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アンリ2世
1519-1559
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1559年6月:エリザベート、スペイン王妃に

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父=アンリ2世
母=カトリーヌ・ド・メディシス
配偶者=フェリペ2世
エリザベートは14歳の時、フランス=スペイン間で締結されたカトー・カンブレジ条約にしたがってフェリペ2世に輿入れすることになった。フェリペ2世はエリザベートより18歳年上で、長男ドン・カルロスの婚約者であったエリザベートを妻に迎えた。フェリペより遣わされたアルバ公爵を代理人とした結婚式は、1559年6月22日、パリのノートルダム大聖堂で行われた。
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エリザベート
1519-1559
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1559年7月:アンリ2世死去
1571年:レパントの海戦でフェリペ2世勝利
1584年:エスコリアル宮殿完成
1588年:スペイン無敵艦隊はイギリスに敗北
1589年:豊臣秀吉、没
1589年:フランス・ヴァロア王朝の終焉
1613年:支倉常長、スペインへ出航
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舞台:フォンテーヌ・ブロー/マドリード
時代:スペイン・ハプスブルク
題材:フェリペ2世の宮廷
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フォンテーヌブロー

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婚約者の二人はフォンテーヌブローで出会う |
エリザベッタは王子カルロの婚約者 |

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カルロとエリザベッタはフォンテーヌブローで出会う |
カール5世は引退後ユステ修道院で暮らし
この修道院で亡くなった。
後にフェリペ2世の希望により遺体は
エル・エスコリアル修道院の王室霊廟に移送された。 |
スペイン
フェリペ2世の4人の妻たち
カスティーリャ女王イサベルの孫がカール5世で、その子供がフェリペ2世。
フェリペ2世は生涯4回結婚で、最初の妻マリア(カール5世の妹)との子供がドン・カルロ。
ドン・カルロの母マリアはドン・カルロを出産後、若くして死亡。フェリペ2世が2番目の妻としたのはイングランドのメアリー1世。
メアリー1世はイサベル女王の娘で英国ヘンリー8世に嫁いだキャサリンの子供。
メアリーはフェリペ2世よりも11歳も年上で高齢のため子供は産まないまま死亡。
そこで3番目の妻として選んだのがフランス・ヴァロア家のエリザベート王女。(フェリペ32歳、エリザベート14歳)
エリザベートはかのフランソワ1世の子供であるアンリ2世とカトリーヌ・ド・メディシスの間の長女でフランス王フランソワ2世の妹。
フェリペ2世はエリザベートとの間に2児(いずれも女児)を得た。
フェリペ2世の後スペイン王家を継いだのはフェリペ2世の4番目の妻アンナが産んだフェリペ3世。
イサベル1世からフェリペ4世までの家系図
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