オペラで読み解く欧州史
2021年6月編集:tabi-taro


欧州史と登場人物

オペラ作品と台詞

1034年:ダンカン1世、スコットランド王即位

1040年:マクベス、スコットランド王即位

父=マリ領主フィンレック
母=ドウナダ
配偶者=グロッホ

「ハムレット」「オセロー」「ルア王」と並ぶシェイクスピアの4大悲劇のひとつ。

 

 

 

マクベス
1005-1057

 

マクベス

ヴェルディ

舞台:スコットランド
時代:11世紀中頃
題材:シェークスピアの戯曲にもなった史実

魔女たちはマクベスが王になることを予言する

魔女の予言の実現をけしかけるマクベスの妻

 

1371年:スコットランドにステュアート朝

1509年:ヘンリー8世即位

父=ヘンリー7世
母=エリザベス・オブ・ヨーク
子=メアリー1世、エリザベス1世、エドワード6世

 

 

 

 

ヘンリー8世
1491-1547


 

 

 

 

 

 

ヘンリー8世

サンサーンス

舞台:イングランド
時代:テューダー王朝
題材:アン・ブーリンとキャサリン

キャサリンオブアラゴンとアンブーリン

アンブーリンを口説くヘンリー8世

キャサリンとの結婚を無効にする司法会議

1533年:アン・ブーリン王妃に

父=トマス・ブーリン
母=エリザベス・ハワード
子=エリザベス1世

フランスから戻ったアンはその洗練された身のこなしと美しさでヘンリー王を魅了。そして愛人ではなく王妃となるために王にキャサリンとの離婚を要求。しかしカトリックでは離婚は許されず、時のローマ法王クレメンス7世は当然離婚申請を却下した。するとヘンリー8世はローマ法王の世話にはならないと、英国独自の国教会を設立。これが今もイギリスに残る英国国教の成立。ウエストミンスター寺院がその総本山。

アン・ブーリン
1501-1536

1536年:ヘンリー8世、王妃アンを処刑
この時エリザベス3歳

1542年:スコットランド女王メアリ・ステュアート(メアリー1世)即位

父=ジェームス5世
母=メアリー・オブ・ギーズ
子=ジェームス1世(6世)
配偶者=フランソワ2世

イングランドではカトリック信者であることとエリザベス1世の王位継承権を脅かすものとして幽閉され、エリザベス1世の命により処刑された

終生未婚で、子孫を残さなかったエリザベス1世に対し、メアリーの血は連綿として続き、以後のイングランド・スコットランド王、グレートブリテン王、連合王国の王は、すべてメアリーの直系子孫である。

メアリー・スチュアート
1542-1587

1553年:イングランド女王メアリ1世即位

父=ヘンリー8世
母=キャサリン・オブ・アラゴン
配偶者=フェリペ2世

イングランドではカトリック信者であることとエリザベス1世の王位継承権を脅かすものとして幽閉され、エリザベス1世の命により処刑された

英国史上初の女王。母はスペイン王女キャサリンで熱心なカトリック信者。新教徒を迫害し「血のメアリ」と呼ばれる

メアリー1世
1516-1558

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アンナ・ボレーナ

ドニゼッティ

 

舞台:イングランド
時代:テューダー王朝
題材:アン・ブーリンとジェーン・シーモア

左からエリザベス1世/
アン・ブーリン/ジェーン・シーモア

シーモアに言い寄るヘンリー8世

アンへの愛を断ち切れないリッカルド

二人の密会は王の知るところとなり

ヘンリー8世はアンを捨てて
シーモアを王妃に

ヘンリー王はアンを断頭台に送る

マリア・ストゥアルダ

ドニゼッティ

 

舞台:イングランド
時代:テューダー王朝

題材:メアリー・スチュアートとエリザベス1世

オペラ

 
   

1537年:ジェームス5世結婚

父=ジェームス4世
母=マーガレット・チューダー
子=メアリー・スチュアート

パリノートルダム寺院にてフランス王フランソワ1世の娘マドレーヌと結婚

 

 

 

 

ジェームス5世
1512-1542

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
湖上の美人

ロッシーニ

 

舞台:スコットランド
時代:
題材:ジャコモ5世

スコットランド国王ジャコモは
ウベルトと名乗りエレナと出会う

ウベルトは実はスコットランド国王

この指環を見せれば
全員の恩赦がかなうでしょう

約束通り反乱軍を許す王

1558年:エリザベス1世即位(1558-1603)

父=ヘンリー8世
母=アン・ブーリン
配偶者=生涯独身
愛人:エセックス伯ロバート・デヴァルー

ヘンリー8世とアンブーリンの子。異母姉メアリー1世の死後、女王に即位。スペインの無敵艦隊を破ったテューダー王朝絶対王政全盛期の女王

 

 

エリザベス1世

1603年:エリザベス女王死去
1603年:ジェームス1世

父=ダーリン卿
母=スコットランド女王メアリー・スチュアート
子=チャールズ1世

エリザベス1世はコットランド女王メアリーを処刑したが、その子王ジェームス6世のイングランド王位継承権を認めた。このことがイングランドにおけるスチュアート朝の幕開けとなり、以後、グレートブリテン王国の誕生まで王冠連合が続くことになる。
王権神授説を唱えピューリタンを迫害。

ジェームス1世
1566-1625

1702年:カディスの戦いで英国はスペインに敗北
オペラ「ロベルト・デヴェリュー」に出て来るカディスの戦いとは別の戦い

 
ロベルト・デヴェリュー

ドニゼッティ

 

舞台:イングランド
時代:テューダー王朝
題材:エリザベス1世の晩年

1587年カディス港襲撃のこと

両親はヘンリー8世とアン・ブーリン

英国の王はジェームスに譲る  

1625年:チャールズ1世即位

父=ジェームス1世
母=アン・オブ・デンマーク
配偶者=ヘンリエッタ・マリア・オブ・フランス

1625年父ジェームス1世より王位を継承し、スチュアート朝の二代目国王に就任。チャールズ1世は「王権は紙より与えられたもので、人民は王に反抗することはできない」とする王権神授説を受け継ぎ清教徒を弾圧した。
さらにスコットランドに大使てイングランド国教会を強制したため、スコットランドの反発を招いた。

 

 

 

チャールズ1世
1600-1649

1642年:ピューリタン革命
クロムウェルが権力を握るが次第に独裁化し、王政復古に繋がる

1644年:ヘンリエッタはイングランドを逃れパリに亡命

父=アンリ4世
母=マリー・ド・メディシス
配偶者=チャールズ1世
子=チャールズ2世

1609年にルーヴル宮殿でアンリ4世の第6子として誕生。
15歳の時にイングランド国王チャールズ1世と結婚するが、カトリック信者であり、英語を話せない彼女はイングランドでは不人気。1649年に夫であったチャールズ1世が処刑され、パリで亡命生活を送るが、1660年王政復古で長男チャールズ2世が国王として即位すると、イングランドに帰還した。
1665年にはパリに戻り4年後に死去。遺体は歴代フランス王家の墓所サン・ドニ大聖堂に埋葬された。
イングランド人が入植した北米のメリーランドはチャールズ2世が母マリアに因んで名付けた地名で、現在のメリーランド州となっている。

ヘンリエッタ・マリア・オブ・フランス
1609-1669












1649年:チャールズ1世処刑
英国史上唯一の共和制

 
清教徒

ベッリーニ

 

舞台:スコットランド
時代:清教徒革命(1642年)

王妃エンリケッタとアルトゥーロ

 
  左:チャールズ1世 右ヘンリエッタ・マリア王妃
下:王太子チャールス(後のチャールズ2世)
腕の中:ヨーク公ジェームス(後のジェームス2世)

 

清教徒革命
1642年〜1643年にイギリスで起きた内線。スチュアート朝の絶対王政に対し議会派のプロテスタント一派が立ち上がったためピューリタン革命と呼ばれる。
議会派が勝利した結果、149年1月に国王チャールズ1世は処刑され、王政は廃止。イングランド共和国が樹立された。闘いの中で頭角を表したオリバー・クロムウェルが最高統治権を掌握し、独裁政治を行った。
1658年にオリバー・クロムウェルがマラリアで亡くなると、跡を継いだ息子のリチャード・クロムウェルに対して不満が噴出。チャールズ1世の息子であるチャールズ2世を亡命先のオランダから迎え入れ王政復古が行われた。

 

 

1660年:王政復古

1685年:ジェームス2世即位

父=チャールズ1世
母=ヘンリエッタ・マリア・オブ・フランス

チャールズ1世の末子。カトリック教徒の国王

 

 

 

 

ジェームス2世
1633-1701

1688年:名誉革命

1689年権利の宣言
ウィリアム3世とメアリー2世の共同統治

父=オラニエ公ウィレム2世
母=メアリー・ヘンリエッタ・スチュアート
配偶者=メアリー2世

 

 

 

 

ウイリアム3世
1650-1702

父=ジェームス2世
母=アン・ハイド
配偶者=ウイリアム3世

 

 

 

 

メアリー2世
1662-1694

ランメルモールのルチア

ドニゼッティ

 

舞台:スコットランド
時代:名誉革命(1688年)の前
題材:1669年にスコットランドで実際にあった史実

オペラ第二幕、アルトゥーロの到着の前に
エンリーコがルチアに語る言葉。
ENRICO
M'odi.
Spento
è Guglielmo... ascendere
Vedremo in trono Maria...
Prostrata è nella polvere
La parte ch'io seguia...

*聴くのだ。グリエルもが亡くなった。マリアが王座に就くであろう。
 
私が支持する勢力が打ちのめされてしまったのた。
 この絶壁から引き上げてくれるのはアルトゥーロだけだ。
ウイリアムが死んでメアリーが女王になる。
*王の跡を継ぐのはマリア王妃


実際にはメアリーが先に天然痘で亡くなり、
以後はウィリアム3世の単独統治となった。
イングランド王位はメアリーの妹アンが継承した。

1677年 ウィリアムとメアリーが結婚
1685年 メアリーの父ジェームスがイングランド・スコットランド王に即位
1689年 ウィリアム3世イングランド王に即位、メアリーとの共同統治。
ウィリアムがオランダ総督を兼ねたままウィリアム3世として女王メアリー2世と共にイングランド、スコットランド、アイルランドの王位に就く。
1694年 メアリー2世天然痘で死去。ウィリアム3世の単独統治
1702年 ウイリアム3世、ハンプトン・コートで落馬、死去
王位はアンが継承。
   

パーセル「メアリー女王の葬送音楽」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 


ヨーロッパ歴史年表

BC4  キリストが生まれる
375 ゲルマン民族の大移動
486 フランク王国建国
661 イスラム帝国ができる
870 フランク王国がフランス・ドイツ・イタリアに分割
1096 十字軍の遠征が始まる
1300 ルネッサンスが始まる
1450 グーテンベルクが印刷術を発明
1479 スペイン王国が成立、大航海時代が始まる
1492 コロンブス、アメリカ大陸発見
1517 ルターが宗教改革を興す
1558 エリザベス1世が即位
1600 イギリス、東インド会社設立
1643 ルイ14世がフランス国王即位
1740 フリッドリッヒ、プロイセン国王即位
1745 イギリスで産業革命が始まる
1789 フランス革命が起こる
1804 ナポレオンが皇帝となる
1830 フランス7月革命
1848 フランス2月革命
1861 イアリアの統一
1870 普仏戦争〜ドイツの統一
1882 三国同盟
1891 露仏同盟
1907 三国協商
1914 第一次世界大戦
1919 ベルサイユ条約
1920 国際連盟の成立
1939 第二次世界大戦
1945 ポツダム宣言
1957 ヨーロッパ経済共同体成立
1967 ヨーロッパ共同体発足
1990 統一ドイツ誕生
1991 湾岸戦争が起こる