言葉の旅 アーカイブス一覧 2002〜2004 |
投稿日 | タイトル | ||
137 | 2004年12月31日 |
スマトラ地震での犠牲者の数が増え続けています。天災は一種の人口調整だという人がいます。2004年の終わりに積もる雪は、今年起ったたくさんの悲しみの鎮魂歌なのでしょうか?! |
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136 | 2004年12月25日 |
アテネのオリンピックが終わりました。歴史的な猛暑を記録した夏が終わりました。中越地震ではたくさんの人が不自由な生活を余儀無くされました。そんな中、ナナちゃんは緑内障と診断されたのです。 |
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135 | 2004年10月25日 |
さだまさしさんが歌う、この哀愁に満ちた歌を背景に特攻機の爆音を聞く度に、国の為に若くして散っていった先人たちに対して、ただただ感謝の念が込み上げてまいります。 |
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134 | 2004年10月2日 |
シアトル・マリナーズのイチロー選手(30)が今シーズン合計で262安打を放ち、大リーグの年間安打数の新記録を作りました。記録がぬり替えられたのは84年ぶり。 |
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133 | 2004年9月21日 | 秋の一日を現役・OB合同山行で楽しんでまいりました。 | |
132 | 2004年9月19日 | 血塗られたメアリちゃん |
スペイン王女キャサリンが生んだ女の子が後の女王メアリです。ヘンリー8世の息子エドワード6世の治世で英国国教は一層進展。それが、スペイン出身でカトリックの信仰が厚いメアリには面白い筈もございません。新教徒を虐殺してしまいます。 |
131 | 2004年8月15日 |
1992年、オリンピック、バルセロナ大会。女子柔道が正式種目となった記念すべき大会に16歳の少女が出場した。金メダルを確実視されていたヤワラちゃんこと田村亮子である。 |
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130 | 2004年8月6日 | 「時間」は良き友 |
マクベス |
129 | 2004年7月31日 |
7月の気象観測記録 |
864年7月17日 富士山が大噴火。西湖と精進湖ができる |
128 | 2004年7月20日 | 文明人と野蛮人 |
中国では一つの王朝が滅びますと、新しい王朝が前の王朝の歴史を編んできました。こんな不思議な伝統を、誰がいつ初めたのかはわかりませが、非常に古くからありました。 |
127 | 2004年7月13日 |
昨年のカナダではどちらかと言えば目立たなかったあの彼が・・・・後輩を前に堂々の講義を始めたのです! |
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126 | 2004年7月4日 | ロイヤル・ガーデンホテルよりの眺め | |
125 | 2004年7月4日 | アフリカの水を飲んだ者は、必ずアフリカに戻ってくる・・・ | |
124 | 2004年6月27日 |
スクープ記事よりも人を感動させる文章を書きたい! |
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123 | 2004年5月20日 |
オリエント急行の思い出 |
そしてもっと奇遇なのは・・・1977年 オリエント急行の最終便がパリからイスタンブールへ向けて出発・・・した日でもあるんです。 |
122 | 2004年5月3日 |
欧州連合 25か国体制に拡大 |
『長い布教活動の中にあって、世界のいろんな国々を回ったがこれほど高い教養と礼節を持った国はなかった。この国の教育のレベルの高さはもしかしたら我々の国を超えているかもしれない・・・・』 |
121 | 2004年4月26日 |
人生は夢にすぎない |
花が匂い立つように咲き、春の光がみちていたあの日。あの歌声を思い出すと、生きることが謎にみちていた日々が蘇ってくる。 |
120 | 2004年4月7日 |
フランスの香り=オリエント急行 |
明日はルーアンを経て奇跡の僧院モンサンミッシェルへ向かいます。ジャンヌ・ダルクが火刑に処せられた町、ルーアン。画家モネが、刻々と変化する光と影を30点以上の連作に描いた「ルーアンの大聖堂」を訪れます。 |
119 | 2004年3月14日 |
スペインの選択 |
欧州のどの国よりも先にイラク派兵を決定し、どの国よりも大量の兵士を派遣したスペイン現政権が勝つのか?それとも野党、社会労働党が勝利するのか?スペインの熱い論戦をなだめるかのような一瞬の雨でした。 |
118 | 2004年3月13日 |
平和の祈り=バルセロナにて |
平和への祈りもまた・・・アントニオ・ガウディの建築物と同じく、永遠に未完なのでしょうか? |
117 | 2004年2月23日 | 聖地にて |
アクロポリス=高台の都市、と呼ばれる丘のまわりに人々が移り住んだのは紀元前八世紀。その丘の頂上にパルテノン神殿が築かれたのは紀元前432年。アテナ女神が祭られました。 |
116 | 2004年2月19日 |
海外旅行に出掛ける機会もなく、ただひたすらに身を呈して地域の人々の安全と生活を守って来た今回のお客様・・・「お疲れさまでした」との思いを込めて、 |
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115 | 2003年12月31日 | 行き交う年もまた旅人なり |
少年の一日は短く、一年は長い。老人の一日は長く、一年は短い。という言葉がありますが、一年がこんなにもあっと言う間に感じられるのは、私もいよいよ老人の域に入ってきたということなのでしょうか。 |
114 | 2003年12月16日 |
鉄道ファンならずとも、誰もが一度は乗りたかったこの憧れの「走る貴婦人」は、まだ明るいうちにニースを後に、有名な紺碧海岸(コートダジュール)沿いに滑り出します。 |
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113 | 2003年11月21日 |
あの深い深い大峡谷・・・・千年で30センチ削られるのだそうです。するって〜と、キリストが生まれてから今日までにたったの60センチ?!気が遠くなります。 |
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112 | 2003年10月30日 |
終着駅(テルミニ) |
緑から黄色に装いを変えたカンパニア地方の木々は、雨上がりの木漏れ日を受けて、さらに美しく、その黄金色の葉をきらめかせておりました。 |
111 | 2003年10月28日 |
最終目的地ローマに着きました。修正し忘れられたバスの車内の時計だけが・・・かつてないほどの猛暑を記録した今年の夏を惜しんでいるかのようでした。 |
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110 | 2003年10月24日 |
秋深まる南欧にて |
「地果て、海始まる」 ユーラシア大陸の西の果てロカ岬もいつになく無風。穏やかな青い海の色でした。 |
109 | 2003年9月18日 |
記録的な気温が報じられたロンドンそしてローマ・・・ |
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108 | 2003年9月15日 |
カナダ第二の規模を誇る公立大学、UBCのキャンパスに響き渡る「フレー! フレー!!」のエールが心に沁みて・・・不覚にも溢れる涙を隠し切れませんでした。 |
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107 | 2003年8月30日 |
このアメリカ合衆国最大の私立大学のスローガンは、「Enter to learn. Go forth to serve!」。「奉仕する人を育てる」を学校運営の理念としているのです。 |
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106 | 2003年8月15日 |
内務省の発表によれば、戦死者は約212万人、空襲による死者は約24万人でした。1982年4月の閣議決定により「戦歿者を追悼し平和を祈念する日」となりました。 |
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105 | 2003年7月26日 | ロンドン塔 |
いにしえの大英帝国の象徴として塔内に住むカラスは、囚われ人たちの代わりなのだとでも言いたげに、今はその羽を半分切断され、夏には似合わぬ淋しげな目を観光客に向けておりました・・・・・・・。 |
104 | 2003年6月28日 | 歌劇「アイーダ」 |
開通式に集まる来賓のために建てられたのがカイロ・オペラ座でした。そしてそのオペラ座のこけら落としに演奏される筈だったのが『アイーダ』なのです。 |
103 | 2003年5月4日 |
私の父と同じ年くらいの方が、こういうHPを作っていらっしゃるなんて素敵だなぁと思いつつ拝見させていただきました。 |
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102 | 2003年4月27日 |
芸術三昧の週末 |
なぜあの三人は落ちた麦の穂を拾うのでしょう?なぜ馬に乗った監視人に見張られているのでしょう? |
101 | 2003年3月26日 | ベートーヴェン |
1827年3月26日、「喝采せよ、友よ、喜劇は終わった」と言い残して、ベートーベンはこの世を去った。一旦、ヴェーリング墓地に埋められた彼の遺骸は後に、1888年になってウィーン中央墓地に葬られた。 |
100 | 2003年3月22日 | 歴史のロマン |
こうしてみるとブルボン王朝の統治とは・・・ルイ14世が絶対王制により富を築き、ルイ15世がその富を消費し、ルイ16世がその罪をあながった・・・百年であったとも言えるのではないでしょうか? |
99 | 2003年3月17日 |
レマン湖畔にて |
美人コンシェルジェ、カトリーヌさんの案内で、今でもスイートルームとして世界のVIPに提供される「119号室」と「120号室」の室内を見学させていただきました。 |
98 | 2003年3月14日 | Tのこと |
明日からは、欧州域内で通話可能な携帯電話(Telephone)を持って、オリエント急行(Train)の旅(Travel)に行って参ります。 |
97 | 2003年3月10日 | Hのこと |
Hapsburg は750年間も欧州に君臨したんだから凄いですよね。アメリカは・・・・・僅か200年ちょっとで歴史の彼方へ消えて行きます。 |
96 | 2003年2月21日 | Mのこと |
キリストを祝福した東方三博士のことを「マギ」と いいますが、このMAGIって、英語のMAGICの語源だったんです・・・!! |
95 | 2003年1月19日 |
ラ・マンチャの男」は、松本幸四郎のこの台詞で幕を開けます。「騎士道が滅んで300年・・・・」。 |
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94 | 2003年1月15日 |
深夜まで続いた懐かしの大宴会が終るころ・・・・三十数余年の時を越えて・・・彼は今も変わらぬ我らが番長でした。 |
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93 | 2003年1月2日 | 近代日本は伊豆から始まった |
1854年3月、ペリー率いる黒船艦隊が伊豆の下田港に次々と入港、長い鎖国が続いた日本に開国の一歩がしるされた。日本に新しい夜明けの到来を告げた記念すべき瞬間だった。 |
92 | 2003年1月1日 |
「お諏訪さん」の愛称で地元の人に親しまれているこの神社こそ私がこの世に生まれて最初に詣でた神社なのです。 |
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91 | 2002年12月26日 |
感動を伝えたい |
レニングラード、ペテルグラード、サンクトペテルブルク・・・歴史の変遷に沿って幾度となくその名を変えたロシア第二の都市。プーチン大統領の出身地でもあるこの街は、来年開都300周年を迎えます。 |
90 | 2002年12月6日 |
ファド |
ファドとは「運命」、「宿命」、「性」の意味です。イベリアの歌はなぜにこれほど深く悲しく、そして哀愁がただようのでしょうか? |
89 | 2002年11月20日 | サンチャゴ・デ・コンポステーラ |
サンチャゴ・デ・コンポステーラ その大聖堂が見える丘に立って、永遠よりも長くそして一瞬よりも短い己の人生を振り返る時、そこには一体何が見えるのでしょうか? |
88 | 2002年11月16日 |
上部を雲に隠しながらも、なお夕焼けの茜色の空にどっしりと裾野を広げ、他の山を圧倒する富士山を左手に見ながらの投稿です。 |
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87 | 2002年11月7日 |
あぜ道を赤く染める彼岸花、金色に風に揺れる稲穂、山裾を彩る紅葉、そして路傍に咲く秋の野草。四季の移ろいを実感できる下田。皆さん、久しぶりに静かなふるさとを味わってみませんか。 |
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86 | 2002年10月27日 |
ナポレオンがエジプト遠征から持ち帰ったというオベリスクが天を衝くコンコルド広場。その延長線上には、ナポレオンが生きて完成を見ることのなかった凱旋門が、彼の威光を今に伝えています。 |
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85 | 2002年10月13日 |
僅かな期待と大きな不安を抱えて、このモンサンミッシェルの聖ミカエルの尖塔をワイフと二人仰ぎ見たのは今年三月のことでした。あの時はまさかこうして元気に、しかも同じ年内に、この地を再び訪れるなどとは想像すらできないことでした。 |
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84 | 2002年10月8日 |
アンネの日記は1944年8月1日、彼女がナチスに連行される三日前で終わっています。そして、以後彼女は生きて再びペンをとることはありませんでした。 |
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83 | 2002年10月6日 |
プログラムの挨拶文に「消えることのない故郷の思い出・・・」とありました。お互いの原風景が一緒だと実感しました。 |
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82 | 2002年8月6日 |
不安にさいなまれる我々がその夜見たものは・・・・音もなく小さく夜空を彩る下界の花火だったのです。 |
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81 | 2002年6月16日 | 消えた葡萄酒 | 10グラムの糖は醸造の結果、5グラムの酒になります。では、残り5グラムはどこへ行ったの??? |
80 | 2002年6月11日 |
イングランドとイギリス |
イギリスという国名はいわゆる通称で、正式には「グレート・ブリテン及び北部アイルランド連合王国」。 |
79 | 2002年6月10日 |
ショスタコーヴィッチ作曲のオペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」を指揮したのは、マキシム・ショスタコーヴィッチ氏。 |
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78 | 2002年5月19日 | 黒船祭り |
1854年3月31日、日米和親条約が締結された時、下田はアメリカ人に開放された最初の港になりました。以来、下田はアメリカの船員にとって人気のある港になりました。 |
77 | 2002年4月29日 | 新緑の香りもさわやかなこの頃、去る4月29日はみどりの日でした。 | |
76 | 2002年4月20日 | マタイ受難曲 | では、無人島に一曲だけ音楽を持って行けるとしたら・・・ |
75 | 2002年4月13日 | 可憐な花にさり気ない気遣いをしてくれる人が、まだまだ東京にも居たんです・・・ | |
74 | 2002年4月5日 | さよなら、英国の母 |
エリザベス英女王の母君であるエリザベス皇太后が30日、ロンドン西郊のウィ ンザー城で死去した。101歳だった。 |
73 | 2002年3月25日 |
救世主イエス伝説 |
アインシュタイン |
72 | 2002年3月25日 |
おかまの涙 |
「あの街からさほど遠くない港町でモネが『印象日の出』を書いたのヨ」 |
71 | 2002年3月5日 | アントニオ・ガウディ |
貧乏は優雅さと美に通じているが、貧困は飢えと恨みに通じている。富は贅沢と面倒を生み出す。貧乏は人を気高くする。 |
70 | 2002年2月1日 | 白貂を抱く貴婦人 | ポーランドの国旗は日本と同じく赤と白です。でも白地に赤くではなく、上が白で、下半分が赤です。 |
69 | 2002年1月16日 |
下田で水仙まつりが開催されるこの時期、父と子供達が植えた土手の水仙もまた辺り一面に甘い香りを漂わせ、走りゆくマラソン人を楽しませています。 |
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68 | 2002年1月1日 | 我欲を捨てて、他人の幸福を念じる心になり切れば、広らかな、すがしい気持にかわって来る |