王妃 キャサリン・オブ・アラゴンCatherine
of Aragon1485-1536
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1509年結婚 1533年離婚
スペイン・イザベル女王とアラゴン国王フェルナンドの間の4女。キャサリンは最初、英国王ヘンリー7世の長男アーサー王子に嫁いだ。でもそのアーサー王子は若くして死亡。イギリスはその政略上、スペインと親善を保つ必要があった。後家になったキャサリン(24歳)はこともあろうにアーサーの弟、ヘンリー8世(18歳)と再婚。メアリ1世(ブラディ・メアリ)の母。男児に恵まれず、結婚から20年余りを経た後に離婚。キャサリンの姉、ファナはカール5世の母。 |
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愛人 メアリ・ブーリン 1508?-1543
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最初に愛されたのは妹メアリ
兄貴のお古の年上女房じゃイヤだということでもないのでしょうが、国王は世継ぎを産むために若くて美しいブーリン家の次女メアリを寵愛する。メアリは男児を出産するがが、所詮愛人の子は庶子にかわりなく、ヘンリー王の愛は姉のアン・ブーリンに移っていった。 |
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王妃 アン・ブーリンAnne
Boleyn 1507?-1536
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王妃になったのは姉のアン
フランスから戻ったアンはその洗練された身のこなしと美しさでヘンリー王を魅了。そして愛人ではなく王妃となるために王にキャサリンとの離婚を要求。しかしカトリックでは離婚は許されず、時のローマ法王クレメンス7世は当然離婚申請を却下した。するとヘンリー8世はローマ法王の世話にはならないと、英国独自の国教会を設立。これが今もイギリスに残る英国国教の成立。ウエストミンスター寺院がその総本山。1533年、ヘンリー王は彼の子を身篭ったアンと結婚。アンはついにイングランド王妃の座に登り詰めた。しかし、アンが出産したのは女の子(後のエリザベス1世)。アンは不貞と近親相姦の反逆罪に問われロンドン塔内で処刑された。 |
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王妃 ジェーン・シーモアJane
Seymour 1509-1537
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元はアン・ブーリンの侍女。
新しい結婚を望む王は、アンを大逆、姦通、近親相姦、魔術行為といった罪で死刑に処した。刑の施行の翌日、王は婚約を公表、その二週間後、二人は正式に結婚した。
1537年10月12日、難産の末王妃ジェーンは待望の男子(後のエドワード6世)を出産する。しかし難産で体力が回復しないジェーンは、10月24日深夜、息を引き取った。ジェーンの遺体は王のために既に造られてあった、ウィンザーの墓所に埋葬された。ちなみに、ヘンリーと墓所を共にしているのは、6人の后のうちジェーンだけである。 |
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王妃 アン・オブ・クレーヴスAnne
of Cleves 1515-1557
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王は実際の花嫁の顔を見るなり、「絵に描いてある女とは違う!」と激怒し、新王妃とは2度と顔を合わすことはなかった。時の大臣であったトマス・クロムウェルが王の見合いのために画家ハンス・ホルバインに依頼して肖像画を描かせたが、アンの姿は肖像画に描かれたほど美人でなかったと言われる。事実、クロムウェルはその責任を取らされてロンドン塔で処刑されたが、ホルバイン自身は王のお気に入りの画家であるために刑死は免れた。王は挙式後6ヶ月でアンと離婚した。王の死後まで生き延びた唯一の皇后で、最も幸せな生涯を送った人物とされる。 |
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王妃 キャリン・ハワードCatherine
Howard 1521-1542
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2番目の王妃アン・ブーリンの従妹。1540年、ヘンリー8世はキャサリンと再婚したが、「不義密通」を疑われ、逮捕された。
キャサリン本人は密通を否定したが、聞き入れられず、事実は曖昧なまま結婚1年半後にロンドン塔内のアン・ブーリンと同じ場所で処刑された。
キャサリンが夫・ヘンリー8世に直訴しようとしたハンプトン宮殿の廊下は、今はキャサリンの幽霊が無実を訴えようと出没する怪奇スポット「ホーンテッド・ギャラリー(幽霊の廊下)」として、世界的に知られている。 |
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王妃 キャサリン・パーCatherinde
Parr 1512-1548
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キャサリン・パーは、51歳のヘンリー8世に見初められ、31歳で王と結婚した。宮廷内での抜群の才女振りとマナーの良さが、王のみならず側近たちにも理想の女性とうつり、王妃に推された。
キャサリンは当時私生児の身分に落とされていたメアリー(後のメアリー1世)とエリザベス(後のエリザベス1世)の姉妹を、王女の地位に戻すことを王に嘆願して許された。
学識高くメアリ、エドワード、エリザベスの教育係も努めた。彼らが王族としての深い教養を身に付けられたのも、聡明な王妃のお蔭である。 梅毒を病んでいたヘンリーは1547年にはセント・ジェームズ宮殿の病床にあった。この年1月28日、王妃キャサリンらに見守られ58歳で他界した。 |
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