大聖堂 果てしなき世界


 

時代背景=14世紀・イングランド

 物語は1327年11月1日、キングズブリッジ大聖堂の内部で幕を開ける。
 時の
イギリス国王はエドワード三世。王位を継承して5年目でまだ19歳。
 彼が14歳の幼さで即位させられた裏には、前王エドワード二世の不実の妻であるイザベラ(フランス、カペー家出身、カペー家最後の国王シャルル四世の妹)の夫に対する謀反が隠されていた。

 エドワード三世は、フランス王位継承権を主張し、また羊毛工業の盛んなフランドル地方の領有問題を巡って6年後にフランスのフィリップ六世(ヴァロア家創始者)との間で百年戦争を起こした。

tabi-taro歴史の日 1328年2月1日 カペ−朝断絶し、ヴァロア朝創設

 

●秘密の手紙

バークリー城のイングランド国王、エドワード二世から、信頼する家臣サー・トマス・ラングリーの手を介して、愛する長男エドワードに父として愛の手紙を送る。

愛する息子よ、まもなく私の死を知らされるであろう。しかし、それは事実ではないと知っておいてくれ。

おまえの母で王妃、私が心から愛する妻は堕落し、シャーリング伯のローランドと彼の息子たちを取り込んで、ここに刺客を送り込んできた。トマスが前もって警告してくれ、刺客は殺された。

一度私を殺し損ねたおまえの母は、当然また狙ってくるはずだ。私が生きているかぎり、王妃と悪い仲間は安心はできない。そこで私と背格好の似ている殺された刺客と服を交換し、死体が私のものだと誓って証言するように、何人かに金を握らせた。おまえの母は死体を見たら事実を知るだろうが、この話に乗ってくるだろう。なぜなら、私が死んだとなれば、彼女にとって脅威はなくなり、彼女に敵対する者や張り合おうとする者が、私の援助を求めることもできなくなるからだ。

 

エドワード二世1284-1327
ブランダジネット家
イングランド王
初代プリンス・オブ・ウェールズ
国内に反乱が相次ぎ、
最期は王妃イザベル・オブ・フランス
の手による謎の死?

 

●イザベル・オブ・フランス

4歳でエドワード王太子(後のエドワード二世)と婚約した。その美しさから、広くヨーロッパの各宮廷に「佳人イザベラ」として知られていた。

1308年1月28日、成婚。フランス王フィリップ四世(新婦の父)、ナバラ王ルイス一世(新婦の兄ルイ王太子、カスティーリャ王フェルナンド四世の3組の国王夫妻が列席し、祝典は2週間にも及んだという。

1325年、フランス王シャルル四世に臣従の礼をとるため、王太子エドワード(後のエドワード三世)を連れて渡仏した。

1327年1月、議会はエドワード二世の廃位を議決し、王太子エドワードを後継者に選んだ。王太子エドワードはまだ15歳であったが、これから母が自分を傀儡に政権を握ろうとしていること、それに対する反感の盛り上がりを賢く察知し、「父から直接譲位がないかぎり即位しない」と指名を拒否し、父王からの譲位書を受け取って初めて即位に同意した。

エドワード三世は1330年、密かに計画されていたイザベラとマーチ伯の打倒計画に同意を与えた。王太后イザベラは、一切の権限の剥奪とライジング城への幽閉が決められた。

イザベラがカペー家本流の最後の生き残りであり、フランスの王位継承権を主張できることから、傍系ヴァロワ家出身のフィリップ六世に異議を唱え、自らのフランス王位継承を求めていたエドワード三世にしてみれば、母を罪人扱いできなかったのである。

28年に及ぶ幽閉の間、マーチ伯の処刑を思い出して、時折精神異常に陥ったという。1358年に死去。遺言で、愛人ロジャーの眠るグレイ・フライアーズ僧院へ埋葬された。

 

息子エドワードとの
イングランド帰還

イザベラ・オブ・フランス1295-1358
父はフランス王
フィリップ4世
母はフィリップ4世王妃で
ナバラ女王の
ジャンヌ・ド・ナヴァール

 

●エドワード三世

1327年、父エドワード2世が廃位され、15歳で王を継承したが、母イザベルとその愛人マーチ伯ロジャー・ド・モーティマーに政治を壟断された。

1328年にカペー朝の跡を継ぎフランス王に即位したフィリップ6世に対して、エドワードはフランス王位継承を主張した。これに対しフィリップ6世は、スコットランドと呼応して、1337年5月にアキテーヌ領没収を宣言し、ガスコーニュに軍を進めたため、11月エドワード3世はフランスに宣戦布告した。これにより、百年戦争が開始された。

1346年、ノルマンディーから上陸したイングランド軍は北上して、エドワード黒太子の活躍もあり、クレシーの戦いでフランス軍に大勝した。また、1356年にはポワティエの戦いでもフランス軍に勝利した。1360年には両国の和議が成立し、エドワード3世はフランス王位継承権を放棄する代わりに、ガスコーニュ、アキテーヌ、カレー、ポンティウ、ギーヌなどの広大な領土を獲得した。

1377年6月21日、エドワード3世は、シーン離宮で亡くなった。王位は孫でエドワード黒太子の長男リチャードが継承した。

エドワード3世は、アーサー王伝説に登場する「円卓の騎士」にあこがれ、1348年にガーター騎士団を創設した。また、イングランド王の紋章にフランス王の象徴である百合の花を加えたことでも知られる。

1337年にイングランドで最も重要な輸出品であった羊毛の輸出および羊毛製品の輸入を禁じるなどして、国内の毛織物産業を大いに振興したことから、「羊毛商人王(The royal wool merchant)」と呼ばれた。

シェークスピアの戯曲の題材にもなっている。

エドワード三世1312-1377
ブランダジネット家
イングランド王
エドワード黒太子1330-1376
プリンス・オブ・ウェールズ
スペイン遠征の際に病にかかり父王より早く亡くなった為、王となることはなかった。

 

●フィリップ六世

1294〜1350(在位1328〜50)。フランス王。ヴァロワ朝初代。
シャルル四世
の死によってカペー朝が断絶すると、王位継承権をフィリップ=ド=ヴァロワフィリップ=デヴルーおよび英王エドワード三世の3人が主張した。女系による継承を禁ずる古法サリカ法典を理由に英王は排除され、同じ親等(先王の従兄弟)ながら年長のゆえをもってヴァロワ家のフィリップが王となった。フランドルに出兵して、カッセルの戦い(1328)に市民軍を撃破した。フランス西南部のイギリス領を侵略し、またスコットランドと結んだために、英仏関係が決裂。英王は再度フランス王位継承権を主張して、百年戦争が開始された(1339)。その結果、スロイ(エクリューズ)の海戦(1340)に敗れ、ついでクレシーの戦い(1347)で決定的な打撃を受けた。

彼の治世は経済的危機と飢饉が相次ぎ、敗戦による混乱に加えて黒死病が流行して、フランスは疲弊した。

 

 

上巻

  マーティンが21歳になったその年の聖霊降誕日、滝のような大雨がキングズブリッジ大聖堂を襲った。大きな雨粒が石盤の屋根を叩き、側溝は溢れ、ガーゴイル(怪物の形をした屋根の水落としの口)から水が噴出した。雨水が控え壁(バットレス)の全面を濡らし、アーチを伝い、円柱を流れ落ちて、聖人の像をぐっしょりと濡らした。空も、巨大な大聖堂も、町も、すべてが灰色に暗く濡れそぼっていた。1-117

 

中巻

 「あんたはこの町を自由都市にするための運動を裏で推進してくれた。あんたの婚約者が架けた橋は羊毛市を救ってくれたし、羊毛の値段が下落したときは、あんたの布地が町を繁盛に導いてくれた。それに、現職のオールダーマンの子供だ。この組織は世襲ではないが、リーダーの家系にはリーダーが育つとみんな思っている
2-295

 「あなた、何で殴ったの?」「宿舎の壁にあった木の十字架です」「ああ」カリスは言った。「打たれた反対の頬を差し出すのはもううんざりだわ」2-352

 1346年7月、国王エドワード三世(プランタジネット家)はイングランド史上最大の、千隻近い侵攻艦隊をポーツマスで組織した。向かい風に足止めされたものの、7月11日、大艦隊はついに秘密の目的地に向け出航した。2-404

●クレシーの戦い

百年戦争最初の大きな合戦。1346年8月26日、英仏海峡を臨むソンム下流の北、クレシー=アン=ポンティユーで英王エドワード三世軍が仏王フィリップ六世軍を撃破した。百年戦争が始まる(1338)と英王はまずフランスの北東国境を脅かす作戦に出る。これは不成功に終わったが、スロイス(エクリューズ)で仏艦隊を破って制海権を握ってのち、戦争の主導権は英王に帰した。1345年ダービィ伯ヘンリー指揮下の大軍をアキテーヌに上陸させ、1346年7月に英王指揮下の軍がコタンタンに上陸、カーンを占領しフランドルめざして進撃した。仏王はセーヌ・ソンム河岸に迎撃できずクレシーで捕捉したときには英軍はすでに有利な地歩を占めていた。ここで旧式な騎士軍からなる仏軍は、弓矢を効果的に使用した英軍に大敗する。英王は勝ちに乗じてカレーを包囲し、ほぼ1年ののちに開城させ北フランスへの侵入路を確保した。この直後英仏両国とも黒死病で荒廃する。

 カリスはやがて、エドワード王とその軍勢が上陸したのはフランスのバルフルール近郊の北岸、サン・ヴァース・ラ・オグ(シェルブールの東)の広い砂浜だと知らされた。2-405

 風向きが変わったのはセーヌ川まできたときだった。ルーアンで橋が壊されていると分かり、町は・・・向こう岸だったが・・・堅固に要塞化されていた。フランス国王フィリップ六世(ヴァロア家)その人が町にいて、屈強な軍隊を率いていた。2-425

 プリンス・オブ・ウェールズの部隊が行軍を先導し、国王の部隊がつづいた。ラルフは前衛にいて、16歳の皇太子が一緒にいた。名は父と同じエドワードだった。
2-436

 陽が昇ろうとするころ、先鋒がセーニュヴィルに到着した。村は川面(ソンム川)から30フィート切り立った崖の上にあった。川岸に立ってラルフは恐るべき難関を眺めた。1マイル半の水と湿地帯。浅瀬の目印となる川底の白っぽい石が見えた。河口の向こう岸は緑の丘だった。2-437

 上席にいるのがフィリップ王のようだった。53歳で、ブロンドの顎鬚に白いものが混じっている。 隣に座っている、王に似た年下の男・・・あれが私の主君だよ。王の弟で、アランソン伯のシャルルだ。2-449

 エドワード三世は即位して19年になるが、まだ33歳だった。背が高くて肩幅が広く、美男というよりは堂々としていて、権力向きといえる顔をしていた。大きな鼻に高い頬骨、そして豊かな長い髪の生え際が広い額から後退しつつあった。彼が獅子と呼ばれる理由が、カリスにはわかった。2-477

 ローランド伯爵がクレシーの戦いの翌日に亡くなったとき、数人が出世の梯子を一段登った。伯爵の長男のウィリアムは爵位を継ぎ、シャーリング州の領主として国王に仕える身となった。そして、サー・ラルフ・フィッツジェラルドはテンチの領主に任ぜられた。それから18ヶ月はだれも故郷に戻れなかった。みな国王とともに進軍し、フランス人を殺すことに忙しかったのだ。やがて1347年になると、戦いは膠着状態に陥った。イングランド軍は重要なカレーの港町を攻略し、占領したが、それ以外には十年に及ぶ戦争の見るべき成果はほどんどなかった。2-496

 1348年、この病気にかかった者のほとんどは五日以内に死亡した。人々はこれを「大悪疫(ラ・モーリア・グランデ)=ペスト=と呼んだ。フィレンツェは共和国で、王侯貴族の支配下にはなく、統治しているのは相争う商人の家系の名士だった。街には何千人もの職工が住んでいるが、財産を築くのは商人だった。彼らは大邸宅の建造に大枚をはたき、それゆえこの街は、才能ある若い建築職人が身を立てるには絶好の環境だった。2-515

 しかし、ラルフの答えは驚くほど慎重だった。「おれの見るところでは、イングランドの騎士もフランスの騎士もそれほど変わりませんよ。フランスはまだ、下馬した騎士と兵士を弓隊で挟み込むおれたちの戦闘隊形を理解できていないだけなんです。やつらはいまだに、自滅的に正面から突っ込んでくるんです。できれば、今後もそうしつづけてほしいものですがね。しかし、いつかは気づいて戦略を変えてくるでしょう。おれたちは守りに関しては無敵です。ところが、いまのわれわれの陣形は攻撃にはまったく役に立たないんですよ。だから、負けもしないけど勝ってもいないんです」
2-600

 頭にあるのはシャルトル大聖堂の南塔だった。二百年前に建てられたもので少々時代遅れだが、間違いなく大傑作だった。シャルトル大聖堂の塔で気に入っているのは、四角い塔から八角形の尖塔へつながる部分だった。塔のてっぺんには、対角線上に向き合った小尖塔が四隅に一つずつ配置されている。塔の四つの側面中央には、小尖塔と似た形の屋根窓が同じ高さに配されている。これら八つの建造物はその背後にそびえる塔の八つの傾斜した側面と調和しているので、四角形から八角形への変化は目で見てもわからないくらいだった。2-625

 

下巻

 修道士が集まると、ゴドウィンは彼らの前で創世記を読み上げた。「神はアブラハムを試された。“あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい” 次の朝早く、アブラハムはろばに鞍を置き、献げ物に用いる薪を割り、二人の若者と息子イサクを連れ、神の命じられた所に向かって行った。三日目になって、アブラハムが目を凝らすと、遠くにその場所が見えたので、アブラハムは若者に言った。“おまえたちは、ろばと一緒にここで待っていなさいわたしと息子はあそこに行って、礼拝をして、また戻ってくる”」3-40

 カリスは意表をつかれた。「何ですって? 高い給金って、いったいだれが出すの?」「隣り村の裕福な農民ですよ」ウィルが憤慨して答えた。「貴族の払う給金は1日1ペニーと決まっていて、労働者は常にそれだけ受け取ることになっているんです。本来はそうあるべきなんですが、身勝手なやつというのはいるもんですからね」「あとさきを考えない人間もいるんですよ、マザー・カリス」ウィルが言った。3-129

 グエンダはふたたび落ち込んでいった。「すべてがわたしたちの敵になったの」彼女は辛そうに話した。きっぱりとした口調で、ほかの者たちも気持ちは同じだった。支配階級が農民に対してできるすべて・・・・飢えさせること、騙すこと、暴行すること、盗むこと・・・・のなかでもっともひどいのは、自尊心を傷つけることだ。そういう辱めを受けた人間は、それを決して忘れない。3-197

 「あのね、ルカの福音書には“外套を二着持っているものは、一着も持たない者に分けてやれ”と書いてあるの。

 カリスは深く息を吸い込み、さらにつづけた。「キングズブリッジは、もう長いこと、古くさい修道院の規則に縛られてきました。修道院長は慎重で保守的で、どんな変化や改革も本能的に嫌がります。ですが、商人は変化によって生きています・・・常に稼ぐための新しい方法を探したり、少なくとも、何がいい方法なのかを考えようとします」3-278

 キングズブリッジでは疫病で何千人も死んでいて、ティリーも殺されたのに。それでも、カリスは希望を感じていた。それはもちろん、計画があるせいだ。計画があれば、いつだって希望が持てる。新しい防壁、保安隊、塔、自由都市特権、そして何より、新しい施療所。すべてをきちんと段取りするための時間をどうやって作っていこうか?3-292

 フィリッパがつづけた。「人間は心のどこかにそういった蛮行を止める何かを持っています。他人の痛みを感じる能力・・・いえ、強制力です。これは本人にはどうしようもないものです。サー・グレゴリー、あなたは女性を強姦できないはずです。彼女の悲しみや苦痛を感じ、苦しみに共感してしまうために、心が挫けてしまうのです。他人の痛みを感じる能力に欠けるものは、人間ではありません。たとえ二本足で歩き、言葉を話すとしてもです」3-331

 「いいこと、わたしはこれまで大切にしてきたものを何もかも奪い取られたのよ」そして振り向き、感情を抑えていった。「すべてを失うと・・・・すべてを失うと、失うものは何もなくなるのよ」3-425

 聖母信仰の人気は高まる一方で、教会側もそれを許していた。聖母マリアに対する信心の広がりが、ペスト以降に信徒たちのあいだで起こっている信仰への疑問や、異端説を打ち消すものとして働いているためだった。数多くの大聖堂や教会が、構内でももっとも神聖な場所とされる東端に、聖母マリアに捧げる小さな礼拝堂を特別に設けるようにもなっていた。3-519

 しかし、ギルドを召集する前に、カリスとマーティンは主だった会員に個別に会って、あらかじめ彼らの支持を取りつけることにした。マーティンがずっと昔に編み出した手法である。彼のモットーは次のようなものだった・・・・・。“会合を開くのは、結果の予想がついてからにせよ”3-561

 なぜこんなにも悲しいのだろうか? さんざん考えた末に辿りついたのは、ラルフが違う生き方をしていれば、違う人間になっていたかもしれないと思ったからかもしれない。激しい暴力性を欲望にまかせて満足させるのではなく、そういった感情をうまく制御できる人間にだってなれたかもしれない。野心に駆り立てられて自分の栄光だけを求めるのではなく、正義感に裏打ちされてあの勇猛果敢さを発揮していたら、もっと違った人間になっていたかもしれない。5歳か6歳のころ、泥だらけの水たまりで木の舟を浮かべて一緒に遊んでいたときのラルフは、決して残酷でも、復讐心に燃えた人間でもなかった。そう考えると、涙が出てきたのだった。3-631

 二人は眼下に広がる光景を眺めた。キングズブリッジの町が北から西にかけて広がっている。ミニチュアのように小さく見える人々が通りを急いでいる。歩いている者、馬に乗っている者、荷馬車を引く者、道具箱やら、農産物の入った籠やら、重い大袋やらを運んでいる者。男も女も子供もいる。太った者、痩せた者、貧弱で擦り切れた服を着ている者もいれば、豪華で厚手の服を着ている者もいる。どの光景を見ても、カリスは驚嘆しないわけにはいかなかった。この一人一人にそれぞれの人生があるのだ。どの人生も豊かで複雑で、過去には様々なドラマがあり、未来には夢がある。幸せな思い出もあれば、悲しい秘密もある。そこには数えきれないほどの味方が、敵が、そして、愛する人がいる。3-653

 「尖塔のてっぺんには、必ず十字架が取りつけられているものなんだ」 マーティンがいった。「慣例なんだよ。でも、それ以外の部分はいろいろ手を加えてもいいことになっている。シャルトルの大聖堂は十字架が太陽を象徴しているけど、ぼくは違ったものを作ったんだ」3-636

 突風が吹きつけた。カリスはマーティンにしがみついた。マーティンが足を広げて立ち、カリスをしっかりと抱きしめた。突風は吹いたときと同じように突然やんだが、マーティンとカリスは、世界の頂で、いつまでもしっかりと抱き合っていた。FINAL