元、海軍第一期飛行専修予備生徒、故小島二郎氏の手記

♪ドルドラのスベニール♪


 


この話は戦時中、三重の海軍航空隊で実際にあった話です。

その体験を小島二郎氏が手記として書き残しました。
このほのぼのとした手記は、戦後
昭和25年にNHKラジオにて全国に放送されました。

このラジオ放送のテープを聴いた私は、
ぜひともたくさんの方にこのお話をお伝えしたいと思いました。

戦争も最終局面に入った昭和19年当時、
厳しい軍隊の訓練の最中にもこんな美しい話があったことに、
きっとあなたは、驚くと同時に、「ホッ!」と心が安らぐに違いありません。

 

 

「ドルドラのスベニール(思い出)」

小島二郎

 

それは私が海軍予備生徒の頃のことであった。

学徒出陣で、私たちは学窓を飛び出し、 海軍の軍人として、故国の窮を救わんと
雀躍として訓練を始めてから数ヶ月経った頃であった。

  私はその頃、三重の海軍航空隊で基礎訓練の最中だった。

 

毎朝5時に起床。それ以来、夜の9時半の就寝まで、
私たちの行動は一切スケジュールによって縛られていた。

朝まだ眠いその最中、拡声器が「総員起こし5分前」を告げる。

もうその予告を聞くと、私たちは唯一の安楽地たるベッドの中から
飛び起きる準備をしなければならない。

  そしてラッパ・・・「総員起こし」

このラッパが鳴ってから1分以内に5枚の毛布をきちんとたたみ、
着衣して寝室を出なければならない。

分隊長、分隊士は寝室の外でストップ・ウォッチを持って待ち構えている。

「50秒・・55秒・・待て!」

1分以内に全てを終了して部屋を出終わらないものは、
「待て!」の号令一下その場に釘付けにされる。

もちろん彼らは適当なる制裁を受けることは言うまでもない。

   

このようにして一日一日が始められた。

そして全てはその調子で、号令、号令に追い回されて一日が終わった。

9時に「温習」という自習時間が終わり、それから20分間掃除。

9時25分に「巡検5分前」の号令が掛かる。

その時には全ての者がベッドを伸べて、床に入っているのである。

そして私たちにとって最も楽しい自由な時間は、
この巡検15分前から巡検5分前までの10分間であった。

ある者はベッドの横の者と雑談をする。

ベッドから抜け出て、5〜6人車座になって、しきりにトランプらしいものをやったりする。

腕相撲をやる・・・トランクから写真帳を出して眺める・・・ 全てが自由であった。

隊長も分隊士もこの5分間は何も言わない。

それどころか一緒になって冗談を言ったりもする。

こんな時間であった。

   

ある晩の事である。

いつものように皆んな一日の訓練の激しさに
へとへとになって各自のベッドを伸べていた。

そして拡声器はいつものように「巡検5分前」を告げた。

するとその時、いつも切られる拡声器のスイッチはそのままに、
レコードを掛ける針の音が聞こえ出した。

そして次に聞こえた音は・・・・  

 ここでプレーヤーのボタンを「再生」してください 
親フレームのBGMを一旦停止にしてから再生してください。

懐かしい、クライスラーの弾くドルドラの「スべニール(思い出)」であった。

はじめのバイオリンの旋律が聞こえるやいなや、 不思議な変化が起こった。

今までわいわい騒いでいた若者たちは一瞬、
自分の耳を疑うかのように押し黙った。

そして皆、このメロディーに耳を傾け始めたのである。

音楽を愛する者も無関心な者も、 一人の例外なく、じっと黙って聞いていた。

ある者はじっと目を閉じ、腕組みをし、
ある者は毛布を被り、ベッドにうつ伏せになったまま、
体の力を全て抜いて聞き入った。

軍隊に入ってから一度も聞いたことのなかった懐かしい曲。

この調べを全ての者が体いっぱいで吸収した。

浜辺に打ち寄せる波を、砂が限りなく吸い込むように・・・。

僅か3分間でこの曲は終わった。

私はこの曲が終わることに、恐れをすら感じた。

再び元の騒音が戻って、せっかくの今の雰囲気が壊されはしないかと。

しかし、そんな心配は無用であった。

曲が終わっても皆は、じっと押し黙ったままであった。

 

そして低い、偲ぶような囁きがあちこちで交わされた。

「いいなぁ」

「俺は忘れていたものを思い出したよ」

「今のは何ていう曲だ?」

 

やがて巡検ラッパが鳴り響く

静かな夜のしじまの中を、このラッパは低く高く鳴り渡った。

さっきのバイオリンの響きをいとおしむかのように

この夜の巡検ラッパは私には控え目に聞こえた。

漁れるものを満たされた時のように  私たち航空隊の若者はその夜、

人間としての心のゆとりを取り戻して、安らかに眠ったことであった。

それにしてもあの時、あのような曲を掛けてくれた
当直将校の心のほどがゆかしく、いまだに偲ばれるのである。

同期の予備生徒として父と共にこの思い出を共有した小島二郎氏は
平成5年に永眠なさいました。