「天使と悪魔」のテーマによるローマ市内観光

バロックの巨匠
ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(Gian Lorenzo Bernini

ラングドンとヴィットリアの啓示の教会への道順
ガリレオの「図表(ディアグラツマ)

  パンテオン(オベリスク、完全なる球体)

1.ポポロ広場=サンタマリア・デル・ポポロ教会のキージ礼拝堂ハバククと天使)

2.サン・ピエトロ広場=エジプトのオベリスクの根本(ウエスト・ポネンテ=西の風)

3.サンベルナルド広場=サンタ・マリア・デッラ・ヴィットリオ教会(聖女テレサの法悦)

4.ナヴォーナ広場=サンタニェーゼ・イン・アゴーネ教会(四大河の噴水、オベリスクのシロハト)

  サンタンジェロ城

ガリレオはヴァチカンの悩みの種だった。ベルニーニはヴァチカンの寵児だ。教会はベルニーニを愛していた。
ベルニーニはヴァチカン全体の芸術事業の監督者にまで選ばれたんだ。生涯をヴァチカンで過ごしたといってもいいくらいだよ。(
p169

ローマ帝国の略奪品であるオベリスクはローマ市内の各所に点在している。
ローマ市内には合計
14本のオベリスクがある。13本はエジプトから運ばれ、1本はエチオピアからのものだ。

向かい合う頂点同士をボールペンで結びながら、ラングドンの指は震えた。眼前の地図に浮かび上がったのは大きな十字架だった。





悪魔の穴開くサンティの土の墓より
ローマに縦横に現る神秘の元素
死の道が敷かれ、聖なる試練あり
気高き探求に天使の導きあらん

「S・P・Q・R」の刻まれたマンホールの蓋元老院並びにローマ市民の意味

ロトンダ広場[パンテオンの北側広場]のオベリスク

パンテオン前のロトンダ広場のオベリスク
 台座にはいるかの噴水、頂上には星の上に乗った十字架

パンテオン  ラファエロ・サンティ(1483-1520)はパンテオンに埋葬されている。(p67

入口に刻まれた不似合いな銘文 
M  AGRRIPPA  L  F  CONSTERTIUM  FECIT
マルクス・アグリッパが3度目の執政官職(コンスル)において建造す。
中心に穴のあいた途方もなく大きなドームを持つこのパンテオンは、ローマでも有数の名所だった。 ラファエロの遺骸は1758年にパンテオンに移された。

パンテオンほど土にゆかりのある場所は、ローマじゅう探してもないだろう。
パンテオンという名は、もともとあそこで奉じられていた信仰に由来する。
多神信仰(パンテイズム)・・・つまり、万物の神、特に母なる大地の神々を祀っていたんだ。(
p68
パンテオンの円堂部分の寸法にガイヤ=大地の女神=への賛美が込められている。
比率が非常に正確で、巨大な球体が
1ミリの隙間もなく建物の中にピッタリおさまるという。

パンテオン内部の空気はひんやりと湿っていて、歴史の重みを感じさせた。
果てしなく広がった天井が、重量などないかのように頭上に浮かんでいる。
141フィートの支間はサン・ピエトロ大聖堂の大円蓋よりもさらに広い。
1975年にニューオリンズに出現したスーパードームによって影が薄れましたが、
それまでは、自立構造のドームとして世界最大だったのです。(
p105

悪魔の穴開くサンティの土の墓とはラファエロ自身の墓のことではなかった。
ラファエロが設計した墓という意味だ。ラファエロが設計した墓で、その悪魔の穴があるものは?

T 土=EARTH

ポポロ広場は完全は楕円形に整えられているばかりでなく、
中央にエジプトのオベリスク
=先端が独特のピラミッド型をした角柱=が聳え立っている。(
P129

ポポロ広場のオベリスク 空からみたポポロ広場


ポポロ広場のオベリスクの最頂部に施された象徴的な彫刻は、1ドル札に描かれたフリーメイソンのシンボルだ。

サンタ・マリア・デル・ポポロ教会の内部は、ほの暗く照らされた洞窟のようだった。
大聖堂というより、半分だけ出来上がった地下鉄の駅に見える。
床からは巨大な円柱が何本も伸びて丸天井の屋根を支えている。
ラングドンとフィットリアは、大きく広がるピントゥリッキオのフレスコ画の下に立ち内装が取り除かれた神殿を見渡していた。(
P138

カッペラ・キージ(キージ礼拝堂
ラファエロはサンタ・マリア・デル・ポポロ教会の中
にあるアゴスティーノ・キージとその弟の墓を設計した。(p118
以前は「カッペラ・デッラ・テッラ」(土の礼拝堂)と呼ばれていた。

生まれてこのかた、こんなに美しい礼拝堂があるとは想像したこともない。
褐色の大理石だけで仕上げられたキージ礼拝堂は、息を呑むほどの素晴しさだった。
これほどまでに「土の」と呼ぶにふさわしい礼拝堂は考えられない。
頭上にはドーム状の丸天井がきらめき、輝く星と七つの惑星が描かれている。
その下には十二宮の星座がある。
壁のはるか下方へ視線を移すと、地上の四季=プリマヴェーラ、エスターテ、アウトゥンノ、インヴェルノ=をかたどった装飾が見えた。

しかし、何にも増して目を瞠らされたのは二つの大きな建造物の存在だった。
ありえないい・・・こんなことは、ありえないはずだ! だが、事実だった。
礼拝堂の両端に、みごとな対称をなして高さ
10フィートの大理石のピラミッドがひとつづつ置かれている。

さらに信じられないことに、まだ先があった。
それぞれのピラミッドの真ん中、手前側の表面に金色の円形浮き彫り(メダイヨン)がはめこまれている。
これまでほとんど見たこ
とのない、完全な楕円形のメダイヨンだ。
その磨きこまれた円盤は、丸天井を通り抜けてくる夕日を反射してかすかに輝いている。
ガリレオの楕円?ピラミッド?星の丸天井?
ここは、ラングドンの想像の範疇をはるかに超えた、これ以上ありえないほどイルミナティらしい空間だった。(
p146
案内板の記事:キージ礼拝堂の芸術で建築を担当したのはラファエロ。内装の美術品は全てジャン・ロレンツォ・ベルニーニの手による。

ハバククと天使
近付くにつれ、それがまぎれもなくベルニーニの作品であるとわかった。
構成の濃密さ、繊細な顔、流れるような衣服、全体がヴァチカンでしか買えない最高品質の白大理石でできている。
天使もハバククも腕を伸ばし、かなたへと指を向けている。次の科学の祭壇を、まさか、文字通り指で示しているとは思いもしなかった。
「どっちの像の指に従えばいいか、分かってるの?」
「気高き探求に天使の導きあらん!」(
p174

 

U 空気=AIR

サンピエトロ大聖堂

ベルニーニの設計のサン・ピエトロ広場 ヴァチカンを護るスイス衛兵 サンピエトロ大聖堂クーポラ
ミケランジェロの傑作「ピエタ像」 クーポラ ヴェロニカ
イエスに歩み寄り、イエスの顔の汗を拭った。
その時、この布にイエスの顔が写った。

 

ヴァチカン美術館

ヴァチカン美術館 地図の間の回廊の天井 ヴァチカン美術館天井画

 

システィーナ礼拝堂Cappella Sistina「最後の審判」 システィーナ礼拝堂「天地創造」

 

サンピエトロ広場にはエジプトのオベリスクある。


ヴァチカンのオベリスクはベルニーニの作品じゃない。カリギュラ帝が持ち込んだものだ。しかも“空気”とはなんの関係もない。
「はい、隊長。広場に埋め込まれた大理石のブロックです。オベリスクの根元にありましてね。ブロックと言っても四角形ではありません。
楕円形です。そのブロックに渦巻く風の図柄(ウエスト・ポネンテ=西の風)が彫られているのです」(
p190
別名、レスピーロ・ディ・ディーオ(神の息)だ。
「サン・ピエトロ大聖堂はミケランジェロが設計した。でも、サン・ピエトロ広場の方は、ベルニーニの設計なんだ」

広場の中央に、カリギュラ帝のもたらした350トンのエジプトのオベリスクが建っていた。
空へ向って
81フィート伸びたその先端はピラミッド型で、その上に中空の鉄の十字架が付いている。
そこにはキリストが磔にされた十字架の遺物が入っているとも言われている。

二基の噴水が完璧な対象性を保ってオベリスクの両脇を固めている。
この噴水はベルニーニの楕円形広場の幾何学的な焦点の位置を正確に表している。

ウエスト・ポネンテのレリーフは、直径が約3フィートの楕円形で、素朴に描かれた顔・・・
天使のような容貌の“ゼピユロス=西風の神”が彫刻されている。
天使の口から吹き出された強い息は、ヴァチカンから外へ向う空気として描かれている。
ベルニーニは空気の流れを五つに分かれた風として描いていた。レリーフの両脇にはふたつの星が配置されている。

ウエスト・ポネンテの息の真中の線は、真東、つまりヴァチカン市国と正反対の方角を指しています。

 

V 火=FIRE

バルベリーニ広場
その広場は、物議を醸した地下鉄の駅があるところだ。
20
年前、地下鉄 の終着駅 建設を巡り、バルベリーニ広場の地下を掘ると広場中央の何トンもあるオベリスクが倒れるのではないかと懸念した美術史家たちが問題にしたのである。
都市計画者たちはオベリスクを取り払って代わりに「トリトーネ」と呼ばれる小さな噴水を置いた。
ベルニーニの時代にはバルベリーニ広場オベリスクがあった。

サンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会
贅を尽くしたバロックだった。壁も祭壇も金色だ。

聖女テレサの法悦
ベルニーニの著名な彫刻「聖女テレサの法悦」は、公開後いくらもたたないうちに、当初の設置場所であったヴァチカンから別の場所へ移されたという。

ベルニーニがわざとあからさまな性的表現をして、ヴァチカンが作品を辺鄙な場所に移さざるをえなくした?
その場所をベルニーニ本人が提案した?たとえば、ウエスト・ポネンテの息の直線状にある奥まった教会を?(
p262
聖女テレサは眠っているさなかに天使による至福の訪問を受けたと主張して、列聖された修道女である。

天使の偉大な黄金の槍が、火炎に包まれ、幾度もわたしの中へ入っては、
はらわたを刺し貫き、そのあまりの甘美さゆえに、果てしなきを願わずにいられない。

ベルニーニの「聖女テレサの法悦」がポルノの見世物よろしく立っていた。
仰向けの聖女が喜びに全身をそらせてうめくように口をあけ、その上から天使が火の槍を向けている。

火のついた天使の槍が、道を指し示す標識灯さながらに高く掲げられていた。p264

「聖女テレサの法悦」の天使の手には火の槍が握られている。
ラングドンの視線はその矛先が示す方角に沿って、教会の右側に向かった。(p51)

 

W 水=WARTER

ナヴォーナ広場=(オベリスク、四大河の噴水)

最後に印をつけた場所がどこかを確認しようと身を乗り出すと、驚いたことに、4番目の地点はローマでも名高いナヴォーナ広場のど真ん中だった。この広場にベルニーニの作品はない。
教会の名称である「サンタニエーゼ・イン・アゴーネ=苦悶する聖アグネス」は、信仰を捨てることを拒んだために性的奴隷としての生活を強いられた可憐な十代の乙女、聖アグネスに由来する。(p55)

ナヴォーナ広場の中央、サンタニェーゼ・イン・アゴーネ教会の正面に、ベルリーニは代表作のひとつとなる彫刻を製作した。
ローマを訪れる者は、誰もがそれを見に立ち寄る。「四大河の噴水」だ。
水を讃える完璧な彫刻といえる「四大河の噴水」は、旧世界の四つの大河であるナイル川、ガンジス川、ドナウ川、ラプラタ川を賛美するものだ。
水。最後の道しるべ。まさにうってつけだ。
そして、決定的な事実がもう一つあった。ベルニーニの噴水の上にはオベリスクがそびえ立っている。(P58)
オベリスクの先端には、空を背景にして小さな影が見える。一羽のイエバトが留まっているらしい。

ナヴォーナ広場のオベリスク

この噴水で最も印象に残るのはその高さだ。大理石の一種であるトラバーチンでできた中央部分だけで20フィート以上ある。
表面は凹凸に富み、随所にあいた大小の穴から水が湧き出ている。
異教の彫像が全体を覆い、その上にオベリスクが聳えて、さらに40フィートの高さを加えている。

一羽のシロハトは、異教では平和の天使の象徴だ。
異教的な噴水のなかにまぎれこませようとして、ベルニーニはあえて異教における天使の象徴を選んだのだ。
“気高き探求に天使の導きあらん” シロハトがその天使だ!

十字。ローマの街を十字形に切って道しるべが置かれていたことに、ラングドンはいまなお驚愕していた。
ベルニーニの「四大河の噴水」が最後の科学の祭壇だ。
いや、まだこれで最後ではない、と思いなおした。啓示の道は四つではなく、五つの場所を結んでいる。
四番目の道しるべであるこの噴水には、何らかの形で究極の目的地=イルミナティの聖なる隠れ家である啓示の教会のありかが示されているはずだ。(P68)

左手では、サン・ピエトロ広場に押し寄せた報道陣の証明が際立っている。
右手では、サンタ・マリア・デッラ・ヴィットリオ教会の円蓋が煙を上げている。
正面には、かたなにポポロ広場が見える。そしてこの真下にあるのは、第四にして最後の地点だ。
四つのオベリスクで形作られた巨大な十字。

ラングドンは身震いしつつ、シロハトを仰ぎ見た。首をひねって顔の向きを合わせ、それから地平線へと視線をさげる。
瞬時にそれが目に入った。(P91)

 

それはローマで最も有名な建物のひとつだった。ヴァチカンに斜めに接するテヴェレ川の岸に屹立している。
円筒状の城閣、それを四角く取り巻く城壁、そしてその外側には、すべての建物を囲む五芒星形の敷地がひろがる。(P92)

古い石造りの城壁は、柔らかな光を放つ投光灯によって鮮やかに照らし出されている。
城閣の頂上には桁外れに大きい銅製の天使が立っており、手にした剣を下へ向けて城のちょうど中心を指している。
そして、それだけでは足りないと主張するかのように、名高い“聖天使の橋”にもまた別に天使が並び、正面の城門へと直接導いている。

城へ至る唯一の道を劇的に飾るその12体の天使は、ほかならぬベルリーニによる彫刻だ。

最後の発見に息を呑みながら、ベルニーニによるオベリスクの巨大な十字がいかにもイルミナティらしい形で城の位置を示していることに気付いた。
十字の橋の横の腕は橋の中央を通り、それを二分している。(P92)

サンタンジェロ城
過去数世紀のあいだ、このサンタンジェロ城がヴァチカンによって、霊廟や要塞、教皇の避難場所、教会に仇なす者の牢獄として使われ、いまは博物館になっている。

イル・パセット
ヴァチカン市国へと急ぐラングドンとヴィットリアの前には、“バセット”と呼ばれる細い地下道が果てしなく続いていた。
地下道の横幅は狭く、天井は低い。
サンタンジェロ城を出るとすぐ、地下道は急な上り坂となり、ローマ帝国時代の水道橋に似た石造りの砦の下へ達した。
やがて道は平らになり、ヴァチカン市国へ向かう秘密の行程が始まった。