言葉の旅 アーカイブス一覧 2005〜2007 |
投稿日 | タイトル | ||
232 | 2007年12月31日 |
見通しの良い一年 |
雲一つない大海原に沈む大きな、そして真っ赤な太陽でした。思わず「2008年が平和な一年でありますように」と、手を合わせずにはいられないほどの、荘厳な眺めでした。 |
231 | 2007年12月18日 |
Kさんの想い出 |
仕事以外にも、バンコク、エジプト、香港、エーゲ海クルーズ・・・函館、京都、鳥羽、網走・・・・よく一緒に遊びました。 |
230 | 2007年12月16日 |
カウント・ベーシー |
カンザス・シティーでジャズが栄えたのは禁酒時代にも酒屋や賭博場が大っぴらに経営され、歓楽街として発展していたためだそうです。市長のトム・ケンダーガストは同時に暗黒街のボスでもあり、その上、熱狂的なジャズ・ファンでした。 |
229 | 2007年12月14日 |
夜間飛行 |
あの光の中にあのひとも元気に暮らしているのだろうかなどと感傷に浸る間もなく伊豆半島上空です。 |
228 | 2007年12月2日 |
映画「マリア」(The Nativity Story) |
三つの星が一列に並び、強烈な明るさを発する一つの星となった時・・・の預言の通り、貧しい家畜小屋の飼い葉桶の中でイエスは生まれました。 |
227 | 2007年11月23日 |
日本の美 |
標高600メートルを超える山の頂より、瀬戸内海に架かる二つの巨大な橋を望みました。東に大鳴門橋、そして西に瀬戸大橋です。 |
226 | 2007年11月22日 |
ミシュランガイド東京版 |
ミシュランガイド総責任者のジャン・リュック・ナレ氏は「世界で一番たくさんの星がついた。日本のレベルがいかに高いかということを思い知りました」と興奮気味に語りました。 |
225 | 2007年10月21日 |
素晴らしき旅の仲間たち |
そんな素敵な仲間たちが、今回は群馬、宝川温泉に集まって、汪泉閣自慢の大露天風呂と、雄大な谷川岳の日本の紅葉を満喫した。 |
224 | 2007年10月16日 |
秋に寄せるいにしえの楽の音 |
古典鍵盤楽器とはおよそ現在の形のピアノが発明される以前の鍵盤楽器で、チェンバロ(英語ではハープシコード)、クラヴィコード、そしてオルガンの三種類を指すのだそうです。 |
223 | 2007年10月14日 |
ロックガーデン |
岩橋先生は日本山岳会の重鎮であり、かつ山と写真を愛する人なら知らない人はいないという、日本を代表する山岳写真家です。 |
222 | 2007年10月13日 |
職人魂が放つ「王者」の輝き |
1897年、バカラのショールームを訪れたロシア皇帝ニコライ二世は、そこに漂う芸術性と香りあふれる気品に胸を打たれ、早速ペテルブルグ宮殿に飾る電飾大燭台を始め7mの高さの噴水などを次々と注文し、パリ中の話題になりました。 |
221 | 2007年10月8日 |
エディット・ピアフ |
恋人、マルセルが飛行機事故に遭った晩の半狂乱の演技は、もう演技を通り超えたすざましい迫力です。 |
220 | 2007年10月4日 |
ジュ・ム・スビアン |
ジュムスビアン(私は忘れない) |
219 | 2007年9月24日 |
狙いすました出発日 |
お客様から「ホテル・食事などの旅のパーツはもちろんのこと、それ以上に最高の紅葉を見るために、絶妙のタイミングを計って欲しい」と言う難しい注文をいただきました。 |
218 | 2007年9月18日 |
ウダツがあがる? |
「上司は強くなければ信頼されない。上司は優しくなければ資格がない」 |
217 | 2007年9月12日 |
ナイン イレブン |
今日、9月11日はアメリカ人のみならぬ世界の人々にとって忘れることのできない日です。 |
216 | 2007年9月6日 |
パヴァロッティよ永遠なれ! |
享年71歳。オペラ歌手として46年間現役という大記録を打ち立てたパヴァロッティの葬儀は土曜日、モデナ大聖堂で行われる。 |
215 | 2007年9月6日 |
今の日本に足りないもの |
日本はある一つの問題を除けば一流国として評価されている」 |
214 | 2007年9月2日 |
「わが国は海に沈みます」 |
「キリバス国の大統領が全国民10万人移住計画を発表」というショッキングな記事を読みました。 |
213 | 2007年8月17日 |
最高気温記録更新 |
岐阜県の多治見市で午後2時20分に、埼玉県熊谷市では同2時42分に、それぞれ40.9度を記録し、74年ぶりに日本の最高気温の記録を塗り替えました。 |
212 | 2007年8月15日 |
構図を考えて、記録に残す |
私は文字や画像をアップロードするときに、いつも明確にいつかこのサイトを開くであろう名前も顔も知らない子孫のことを意識しています。 |
211 | 2007年8月7日 |
富士山へ二度登った馬鹿 |
息子を誘って富士山頂を目指したもう一つの狙いは、己の誕生日の日の出に向かって禁煙を誓うことでした。 |
210 | 2007年7月29日 |
今こそ江戸に学ぼう! 最終回「未来に伝えよう、江戸しぐさ」 |
「挨拶するとやっぱ気持ちがいい!」地域の住民からも「道を広がって歩く子が減った」「挨拶する子が増えた」という声が聞こえるようになりました。 |
209 | 2007年7月28日 |
今こそ江戸に学ぼう! 第七回「世辞が言えたら一人前」 |
必要最低限の読み・書き・算盤をマスターした後、子供たちは9歳までには「さようでございます」「お暑うございます」などの大人言葉を学ぶのが必須でした。「世辞が言えたら一人前」とされました。 |
208 | 2007年7月27日 |
今こそ江戸に学ぼう! 第六回「講座と江戸風レディーファースト」 |
男は先に着いても、玄関で履き物を脱ぐときに、1、2列分開けました。後からくる女性のためです。男は足を広げて跨げるが、女性はそれができないからです。 |
207 | 2007年7月26日 |
今こそ江戸に学ぼう! 第五回「粋(いき)な江戸っ子」 |
粋の反対が「野暮」です。往来で他人の迷惑を考えずに「とうせんぼしぐさ」や「仁王立ち」するのは野暮な人間のすることです。 |
206 | 2007年7月25日 |
今こそ江戸に学ぼう! 第四回「袖擦り合うも多生の縁」 |
道路は「江戸城に続く廊下」と考えられ、ゴミを捨てたり、唾を吐いたりするのは、とんでもない行為とされました。歩きながらタバコを吸うこともありませんでした。混んだ道を早く走ることは危険なので「韋駄天しぐさ」と言って禁じられました。 |
205 | 2007年7月24日 |
今こそ江戸に学ぼう! 第三回「人間はすべて仏の化身」 |
「人間はすべて仏の化身」と考え、身分や職業、年齢に関わらず、互いに対等の付き合いをすることが原則だからです。そういう外的なものよりも、人間としての品格の方が江戸社会では大切にされました。 |
204 | 2007年7月23日 |
今こそ江戸に学ぼう! 第二回「束の間付き合いと世辞」 |
江戸 最盛期には人口100万人に達し、60万人のロンドン、70万人のパリを凌ぐ世界最大の都市でした。 |
203 | 2007年7月22日 |
今こそ江戸に学ぼう! 第一回「江戸しぐさ」 |
傘を横に傾けて相手に雨の滴がかからないように気を配る「傘かしげ」、狭い道ですれ違う時に右肩を引いてぶつからないようにする「肩引き」 |
202 | 2007年7月15日 |
マチュピチュ・・・天空に続く道 |
断崖絶壁に道を通し、作物を育て、飢え無き社会を築いた・・・五百年前、「与えて豊かになること」を目指した、天空の文明がここにありました。 |
201 | 2007年7月14日 |
祝、世界遺産登録 |
これで日本の世界遺産は16道府県、合計14件が登録されたことになります。 |
200 | 2007年7月8日 |
目からウロコ! |
かつて、1280万トンと世界一の漁業生産量を誇っていた日本は、現在では世界第六位にまで転落している。 |
199 | 2007年6月23日 |
巨匠、トスカニーニ |
プッチーニの遺作オペラトゥーランドットの初演に際し、別な作曲家が補作したフィナーレの直前で演奏を止め、「マエストロはここまでで筆を絶ちました」と言って指揮台をおり、そこで公演を終了した話は有名ですが、 |
198 | 2007年6月12日 |
便利ってなに? |
「便利ではありませんが不便でもありません」 |
197 | 2007年6月8日 |
マンジャーレ、カンターレ |
おいしいワイン、明るい笑い声、旅情を掻き立てるナポリ民謡・・・・まさしくイタリア人は人生を楽しむ達人です。 |
196 | 2007年6月4日 |
ほほえみ |
実際はほほえみを忘れた人ほど それを必要としている人はいないのだから。 |
195 | 2007年5月30日 |
軍艦旗 |
軍艦旗は正しくは、十六条旭日旗と称される。1874(明治7)年、天皇陛下が、日本陸軍近衛第一・第二各聯隊にこの十六条旭日旗授けられた。 |
194 | 2007年5月22日 |
言葉の旅 |
いいえ、私は知っています。 |
193 | 2007年4月29日 | 「昭和の日」 | 英語に「Decent」という単語があります。 |
192 | 2007年4月25日 |
伝統の翼 |
1957年4月5日、四発のプロペラ機「ベルン号」が曇り空の羽田に着陸した。尾翼の正十字も鮮やかなスイス航空機が初めて日本の地に降り立った歴史的な日だった。 |
191 | 2007年4月22日 |
春の魔法、ピンクの丘 |
8種類35万株以上の、ちっちゃな可憐な芝桜。きらめく季節が、秩父を春色に彩ります。 |
190 | 2007年4月19日 |
OH!脳! |
手書きで文章を書くとき、あるいはキーボードで文字入力する際にフル回転している「脳」はケータイでは働かないのだそうです。 |
189 | 2007年4月16日 |
日本民族よ永遠なれ |
子供は長じて社会人となり、労働力の担い手となり、納税という形で社会貢献する。子育てのコストとは、そうした社会の担い手を育てるコストなのである。 |
188 | 2007年4月8日 |
心の学校=新国劇 |
1966年の完成以来、歌舞伎・文楽・能・狂言など、日本の文化芸術を語り継いできたこの劇場は、はるか遠く正倉院の校倉造をモチーフとして建設された。 |
187 | 2007年4月3日 |
幸呼ぶ櫻吹雪 |
いうまでもなく、桜はただの花を超えて、日本人の心の花なのです。 |
186 | 2007年4月1日 |
最後の教壇 |
講演が始まると直ぐに、私は不思議な錯覚に陥ったのです。まるで、そこが、37年前のあの日の教室であるかのような・・・本当に不思議な感覚でした。 |
185 | 2007年3月28日 |
歴史の現場証人 |
長きを生きてなお戦争を語り継ごうとする「歴史の現場証人」お二人の今の声を、それも同じ日に聞くという奇跡を経験したのです。 |
184 | 2007年3月22日 |
ブログを開設しました |
メールの送受信記録を振り返ると・・・それ自体が日記とも言える大切な「記録」になっていることに気がつきました。 |
183 | 2007年3月21日 |
歓喜に寄せて |
歓びや悲しみを
あるいは希望や絶望を |
182 | 2007年3月4日 |
ぞめきの消えた夏 |
「ぞめき」とは阿波踊りのお囃子のことです。 |
181 | 2007年2月11日 |
古代アンデス文明の奇跡に迫る |
風が舞い、雨が上がり、霧が晴れ、薄日が差し始めたと思ったら、世界遺産人気NO1のマチュピチュの遺跡が見る見るその全貌を明らかにしたのです。 |
180 | 2007年1月28日 |
我が家の春 |
来週末に控えたマチュピチュへの旅が終わる頃、退院してきた父を迎えるふるさと伊豆では河津桜が満開となります。 |
179 | 2006年12月28日 |
感動のコンサート |
「私たち演奏者は、ベートーベンの行間に潜む宇宙を見ようと頑張ってきました」「でもそれはあまりにも果てしなく、もしかしたら、まだ半分も辿れていないのではないかと思うのです」 |
178 | 2006年12月26日 |
最後の第九 |
第九の第4楽章はティンパニーが主役といえるほど大活躍します。中学の同級生が叩く「最後の第九」は、きっと、来たるべき新しい年の扉を開いてくれることでしょう。 |
177 | 2006年11月16日 |
ファラオの啓示 |
スーダンとの国境の町、アブ`・シンベルでのことです。着陸の直前に機上よりアブ・シンベル神殿が見えるからと、お客さま全員で左側の座席を確保しました。 |
176 | 2006年9月22日 |
バルトの楽園 |
音楽隊の隊長は直ちに混声合唱を「男性だけの第九」に編曲し直した。収容所の広場に集まった坂東の人々は、我が国で初めて第九を聞いた日本人となった。 |
175 | 2006年9月18日 |
永遠の町、ナポリ・・・ |
雨上がりのサンタ・ルチア港にはおびただしいヨットが係留され、その澄んだ夜空に、ヨットの数の何倍もの灯かりを浮かび上がらせていた。 |
174 | 2006年9月17日 |
幻の「青の洞窟」 |
白い三角屋根のアルベロベッロ、映画「パッション」の撮影舞台となった街、マテーラ・・・・驚くべき景観の連続です。 |
173 | 2006年8月13日 |
三丁目の夕日 |
誰でもが持っている「あの頃は良かった」との実感は、恐らく単なる郷愁ではないような気がします。ほんとうに、進歩とは何でしょう? 便利って何でしょうか? |
172 | 2006年8月8日 |
ふるさとからの便り |
おばあちゃんの歳を越えた。80歳になった。しっかりしよう。 |
171 | 2006年7月19日 |
天国よいとこ一度はおいで |
南海の楽園に旅すると・・・いろんな場面で自分が本当は優しい人間だったのだということを思い出させてくれます。 |
170 | 2006年7月3日 |
ダ・ヴィンチ・コード |
『解読できる聡明さを備えた者だけに読む資格が与えられる!(中巻P84)』 |
169 | 2006年4月17日 |
新緑 |
風景(まわり)は一瞬にして 萌える緑一色に変わっていた。 |
168 | 2006年4月16日 |
夏の日の恋 |
ふと鈍行列車に乗って 古い友達の顔を見たくなる |
167 | 2006年3月19日 | おお!アメリカ! |
船でアメリカに渡ってくるヨーロッパからの移民達が最初に見たもの・・・それが「自由の女神」だったのです。 |
166 | 2006年3月6日 |
自己中心人間、国を滅ぼす |
日本人はかつて何よりも名誉を重んじ、貧困でも正直さを選ぶ国民性を持っていた。それが第二次世界大戦で敗れ、戦後、経済発展だけを目標に邁進してきた結果、「自分さえよければいい」「儲けるヤツが正義」といった利己主義や金銭万能主義が蔓延した。 |
165 | 2006年2月24日 |
千両役者 |
イタリア人の歌劇への焦がれと、国民的英雄プッチーニへの誇りとを見事にくすぐったこの選曲ほど、トリノの戦いにふさわしい音楽はなかったのではないでしょうか。 |
164 | 2006年2月20日 |
春分の日、満開の桜の下で |
この奉納演劇は3月21日18時15分開場です。桜咲く靖国神社境内、遊就館前特設舞台にて小雨決行されます。 |
163 | 2006年1月27日 |
カラカウア王 |
明治天皇がハワイとの縁組を受け入れていたら・・・・ハワイは米国の50番目の州になることもなく、日本の一部になっていたかも知れませんね?! |
162 | 2006年1月23日 |
こんなこともあるんですねぇ! |
品川プリンスホテルの窓より本当は今日は見えるはずのない富士山を見ています。 |
161 | 2006年1月5日 |
伝えたいこと・・・伝えたい人・・・ |
「仕事に感謝し世の為人の為に働いていますか」 |
160 | 2005年12月29日 |
クリスマスの贈り物 |
そんな中、あのスマトラ沖大地震が発生しました。血統正しい正規の軍用犬が、暑さと疲労で次々と倒れる中、ガレキの中から一番多くの人を助け出したのがこの勲章をもらった野良犬君だったのです。 |
159 | 2005年12月18日 |
戦後60年の意味 |
戦艦大和の沖縄出撃もまた特攻でした。3000名を超える乗組員の中で生き残った人は270余名・・・そして今なお、その内の20数名がご存命だそうです。 |
158 | 2005年12月17日 |
オーク・ツリー |
コロンブスの「サンタマリア号」も、そしてまた、戦艦「ヴァーサ号」もオーク材で作られていたことを思い出しました。 |
157 | 2005年12月7日 |
落ち葉を掃く老人 |
公園を掃く老人の姿に心を打たれ、失礼ながらシャッターを押しました。 |
156 | 2005年11月30日 |
夢の実現=シャンソン編 |
大学生時代、コンパであの上野さんの熱唱を聞いたとき、誰がそんな30年後を想像できたことでしょう。 |
155 | 2005年11月29日 |
400万ドルの香港 |
中国の宇宙飛行士2名が香港を訪問。当然、翌日の新聞の一面を飾るトップ記事でした。その宇宙飛行士と同じホテルだったため至近距離でご挨拶。中国の国民的英雄から笑顔をいただきました。 |
154 | 2005年11月17日 |
ナポレオンの夢 |
ネルソン提督はナポレオンのエジプト遠征に対抗した海の提督。そして今日のユーロスターが出発する英国側の駅の名はウォータールー。ワーテルローの戦いを勝利に導いた英雄ウェリントン将軍に因んで付けられた名前です。 |
153 | 2005年11月7日 |
日本地図が世界地図?! |
凄い、発想の転換だねぇ。日本地図が世界地図になっているヨ!!」 |
152 | 2005年10月14日 |
幸せを運ぶオレンジ封筒 |
「スウェーデンの改革は、今の日本と‘同じ悩み’から始まりました」今を溯ること45年も昔、この国の経済成長率が緩やかなカーブを描き始めた頃、既にこの国では、このままでは長期的に年金制度が維持できないことが認識され問題化されていました。 |
151 | 2005年9月12日 | 「水はどこから・・・?」 |
殺戮をくりかえし、争いが絶えないヨーロッパに『キリスト教』が生まれ、性欲の激しい民族・・・・インドに『仏教』が根付いた。『イスラム教』を育んだのは砂漠の民だった。水を制することが生きることだった。 |
150 | 2005年9月5日 |
シルクロード紀行 |
砂漠が旅人を拒んだのではなく、我々が本来の姿を知ろうとしなかっただけなのだ。 |
149 | 2005年8月16日 |
靖国神社実況 |
こうしてまた、60回目の夏は去って行く。 |
148 | 2005年8月15日 |
終戦記念日に思うこと |
「耐え難きを耐え忍び難きを忍び以て万世のために太平を開かむと欲す」の玉音放送から60年の歳月が流れました。 |
147 | 2005年8月10日 |
藤木先生の講演会報告 |
今回の講演は「私が出会った偉大な創業者達の顔」のテーマに90分にわたり話がありました。 |
146 | 2005年7月22日 | 爆破現場の暗示 |
> (1) Oval Tube Station |
145 | 2005年6月6日 |
スイスからパリへ |
モナリザの向い側の壁面には、ルーブル美術館最大の大作、カナの婚礼(ベロネーゼ作)が置かれているとのこと。ルーブルの至宝を同じ部屋で観賞できる幸せを体験してまいります。 |
144 | 2005年5月8日 |
日本の美、棚田 |
村人たちが丹精を込めて手入れした100を越える棚田は、折しも美しい夕方の日差しにその水面を輝かせておりました。 |
143 | 2005年5月1日 |
想像を超えたパフォーマンス |
圧倒的なスケールで繰り広げられるこのショーはまさしく中国の歴史絵巻そのものです。驚くなかれこのショーの出演者は男女合わせて500名・・・騎馬の疾走あり、中国雑技あり、観る人に息をつかせません。 |
142 | 2005年4月26日 | チューダーローズ |
イギリスの国花はバラ。白バラを家紋とするヨーク家と、赤バラのランカスター家の、この何とも優雅な名前の戦争は、王位継承権を巡り30年間も争ったのちに、妥協の産物としてチューダー王家を生み出したのでした。 |
141 | 2005年4月5日 |
日付入りの引き出物 |
ローマ法王の葬儀が4月8日に決まったそうです。 |
140 | 2005年2月17日 |
南の島に雪が降る |
ジョン・ヒロカワはハワイに住む日系三世。息子が五歳の時のクリスマスに聞いたそうです。「お父さん、雪ってどんなふうに降るの?」 |
139 | 2005年2月5日 |
さよなら夕食会は再会への扉! |
人の出会いが織り重なって、人生に素敵な色を付けてくれる・・・今更そんな当たり前のことを、人生の先輩たちであるお客様に向かって、改めて問いかけして参ります。 |
138 | 2005年1月5日 |
年頭にあたり思うこと |
ギロチンに散ったマリー・アントワネットの処刑の時、コンコルド広場は大勢の野次馬で溢れていました。好奇心・怖い物見たさは人の常です。 |