言葉の旅 アーカイブス一覧 1999〜2001 |
投稿日 | タイトル | ||
67 | 2001年12月31日 | 今年、特に夏以降は辛い出来事が続きました。 | |
66 | 2001年12月14日 | 今年の漢字が決まりましたね! 1位は「戦」との事・・・・ | |
65 | 2001年12月5日 | 天才に触れる日 | ベートーベンは32才の時に耳が聞こえなくなり、自殺を決意。そして一晩かけて遺書を書きました。 |
64 | 2001年12月2日 | 雅子様が元気な女の子を出産されました。 | |
63 | 2001年10月15日 | エルトゥールル号の遭難 |
そこに、二機の飛行機が到着した。トルコ航空の飛行機であった。 |
62 | 2001年9月19日 |
肉親以外は、他人を全く信用できない中国で『儒教』が興こりました。 |
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61 | 2001年9月10日 | だからおれは、この百俵の米をもとにして学校を立てたいのだ。 | |
60 | 2001年8月20日 | 意思疎通 | グノー「アヴェ・マリア」 バッハの元の曲は「平均律クラヴィーア曲集・1巻の1曲目プレリュード」 |
59 | 2001年8月17日 |
焼岳〜西穂高〜奥穂高〜槍岳・・・・「かつて30年以上も昔、体力みなぎる自分が、あの尾根に、あの山頂に確かにいたんだ・・・」 |
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58 | 2001年8月8日 | 今回の旅は、地球環境改善に向けた植林ツアーでした。 | |
57 | 2001年7月23日 |
現役時代106回ものアベック・ホーマーを記録した長嶋と王・・・21世紀最初の球宴に、それぞれセ・パ両軍を率いる監督として対決 |
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56 | 2001年7月17日 | We invite you to explore Kyoto, an ancient city of breathtaking beauty. | |
55 | 2001年7月11日 | 江戸被切子 | 名工、矢部茂さんの作であることの証明に、「岳茂」の二文字が刻まれておりました。 |
54 | 2001年6月23日 |
我々人類にとって、平和の記憶はまだまだあまりにもはかなく浅く、いさかいの記憶はまた積み重なってゆく。 |
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53 | 2001年6月7日 |
旅情とは例えl0分でもシエナのカンポ広場にたたずんで、 |
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52 | 2001年6月2日 | 「あの頃の漫画には夢があった・・・」「いわば知的詐欺師とでも言おうか・・・」 | |
51 | 2001年5月24日 | ムーア人(モーロ)人の夢の跡 |
いまや一日に7,500人の入場制限がある中で、ぼくはあえて午後4時の時間帯を密かに予約して、落日に染まるアルハンブラの神秘を参加者への贈り物として考えたのでした。 |
50 | 2001年5月22日 | 両国橋 |
古く、墨田川の東側は武蔵(むさし)の国、西側は下総(しもうさ)の国であった。 |
49 | 2001年5月14日 |
暮れなずむ神田の町の灯りの中、図らずも、2001年「神田祭り」の最後尾より、 |
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48 | 2001年5月5日 | 1074点の名画たち |
システィーナ礼拝堂のミケランジェロに酔い、ポンペイの秘儀の間の壁画に驚嘆し、 |
47 | 2001年5月3日 | 負けてよかった。生徒たちのこれからの人生のためには、負けた方がよかった」と。 | |
46 | 2001年4月29日 | お城 | 『遺跡・廃墟にたたずんで・・在りし日を偲ぶとき・・』これが最も旅人に大切なことだと思ったのです。 |
45 | 2001年4月27日 | ミュンヘン |
ミュンヘンって、古くはムニヘンと発音しました。 |
44 | 2001年4月20日 | 戦争体験を語り継ぐ |
50歳の人は50キロで、80歳の人は時速80キロのスピードで天国へ向かって毎日生きている計算になるそうです。 |
43 | 2001年4月10日 | クラブメッドのこだわり |
西オーストラリアの北西部に「ブルーム」という街があり、太地と『姉妹町』の間柄です。 |
42 | 2001年3月30日 | 今度は私たちが | 本年の1月28日の読売新聞「気流」にはこんな投書が出ておりました。 |
41 | 2001年3月27日 | タイ式マッサージの衝撃 | おそるべしタイ式マッサージ。彼女らは人体の血流の神秘を知り抜いているのです。 |
40 | 2001年3月16日 | 青二才 |
人の気持ちを理解できない人間、人によって育てられなかった人間は、青二才と言われる。 |
39 | 2001年3月4日 | 雛人形が見たもの |
三寒四温・・・・良い響きです。七転八起もそうですが、希望の言葉がそれぞれ、わずか一つ上まわっているというのが嬉しいです。 |
38 | 2001年2月20日 | 谷間に三つの鐘が鳴る |
南仏ナルボンヌに出生の鐘を鳴らした彼は、87年の生涯を全うし、昨日シャンソン界の谷間に三つ目の鐘を鳴らしたのです。 |
37 | 2001年2月12日 | 音へのこだわり |
機内放送は聞きたい人には聞こえ聞きたくない人には雑音にならない程度のさりげなさが要求されます。 |
36 | 2001年2月5日 | 青春の光と影 |
同じ高校に進んだ彼は、受験勉強を口実にブラスバンド部を退部した私に、「人生逃げてはいけない」という重要な教訓を身を持って示してくれました。 |
35 | 2001年1月14日 | 観劇に感激 | 人間が食べるため、生きるため、搾り出るような涙を流していた時代があったのです。 |
34 | 2001年1月4日 | 新たなる旅立ち |
スペイン在住時、サンティアゴ巡礼路を歩きつつ、『我々が生きて行くことは遠い道を行く旅人と同じである』と思った。 |
33 | 2000年12月24日 | 心にかけた鍵 | ところでこの大統領の名前ニコラスはギリシャ語でサンタクロースの名前。「勝利」の意味です。 |
32 | 2000年12月13日 | 二十世紀十大事件 | 歴史は常に多くの類似点と、わずかではあるが決定的な相違点をもって繰り返します。 |
31 | 2000年12月3日 | 気になる木 | 斎場の庭に二種類の木が競い立っていました。常緑樹と落葉樹。 |
30 | 2000年11月21日 | 今こそチャンス! | 「大学は絶えず社会に対して知性を発信し続けなければならない」 |
29 | 2000年11月17日 | マレーシア・レポート |
マハティール首相の公用車のナンバープレートは2020。「2020年には世界の先進国の仲間入りを果たす」という固い決意がそのナンバープレートに込められているのです。 |
28 | 2000年10月29日 | ホームページ開設 |
今後は毎月一回くらいのペースで写真を入れ替え、飽きのこないアルバムとして、 |
27 | 2000年10月22日 | 日本の秋 | 旧友との再会の美酒とこの秋一番の紅葉で、身も心も赤く染まった休日でした。 |
26 | 2000年10月4日 | あの鐘を鳴らすのはあなた |
アメリカ人なら誰でも、ケネディーが暗殺された日に、自分がどこで何をしていたか覚えていると言われますが、我々日本人もまた、1985年8月12日の日航機墜落の日のことは決して忘れることはありません。 |
25 | 2000年9月18日 | ♪誰もいない海♪ |
夏の賑わいが去り、浜辺に散乱するサンチェアーの上にはトンボが数匹。 |
24 | 2000年9月12日 | 秋の大雨 | 「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」 平安の歌人 藤原敏行 |
23 | 2000年8月31日 | 字幕は最高の日本語 | 「何かいい物語があって、語る相手がいる限り、人生捨てたもんじゃない」 |
22 | 2000年8月22日 | 地中海からの帰国 |
あの、オリーブの木しか育たないような荒野をキリストや12使徒が歩いたのかと、幾ら想像力を駆使してみてもそれは理解し難いことでした。 |
21 | 2000年6月25日 | 昭和との決別 | 昭和天皇を忍んで記帳に来たあの日も同じように小雨交じりの天気だったことを思い出しました |
20 | 2000年6月4日 | 明日に架ける橋 |
この橋は、原発を承認したスエーデンの町マルモと、一方国民投票できっぱりと原発を否決したデンマークの首都コペンハーゲンを結んで |
19 | 2000年6月3日 | 誰が地球を救う。 ヨハネの黙示録 |
ケルン郊外の家電リサイクル工場を訪問いたしました。 |
18 | 2000年6月2日 | 三つ子の魂、百まで |
人に祝ってもらう事の喜びを通じて、人にはどうしてもらうと嬉しいのか、またどうしてあげると喜ばれるのかを自然と理解してゆきます。 |
17 | 2000年6月1日 | 夢の実現 |
昨夜、私は彼女達家族が住む町、フライブルクに泊まりました。 |
16 | 2000年6月11日 | ハッピー? |
「幸福度アンケート」「あなたは幸せですか?」「今の暮らしに満足してますか?」 |
15 | 2000年3月26日 | 卒業式 | 「他の誰かのためになにかをし、命を救い、贈り物をした」、そういう人々の一人となられるように |
14 | 2000年1月24日 | スポーツの中の欧米 |
アメリカが生んだスポーツ、ベースボール、バスケットボール、アメフト、インディー・カーレース。 |
13 | 2000年1月13日 | 漫画に学ぶ | 利益は決して追求するものではなく、社会奉仕の結果戻ってくるものだ。 |
12 | 2000年1月1日 | ビバ! ミレニアム! | まさに、「時間が過ぎていくのではない、人が過ぎていくのだ」という西洋のことわざの通りです。 |
11 | 1999年12月29日 | 私にとっての1900年代 |
昭和39年にわずか12万人だった海外渡航者が平成2年には、1千万人を超える急成長を遂げた。 |
10 | 1999年12月19日 | 海のお調子者 |
バリ島に来ています。最近人気急上昇の「ルンバルンバツアー」に参加した。ルンバルンバとはインドネシア語でイルカの事。 |
9 | 1999年11月24日 | ピラミッド |
薄雲の中に浮かび上がる富士山のシルエットが、実際以上の傾斜と高度を感じさせるのに似て、 |
8 | 1999年11月11日 | 1999年11月11日 | 地球が回転する速さは、時速1669キロ以上。地球が公転軌道を回る速度は時速10万7千キロ。 |
7 | 1999年10月26日 | 大逆転 | 再度の訪独と、更に今世紀中の再会を約束して、長い電話を切ったのでした。 |
6 | 1999年10月26日 | ドイツ最終レポート | フランクフルト 地下220mまで潜って、2億年前の地層部分に行ってきました。 |
5 | 1999年10月22日 | 完璧 | 休止のポーズで微動だにしません。あたかも彫像であるかのようです。 |
4 | 1999年10月8日 | 世界人口60億人時代に | 一度低下し始めた出生率を、長期にわたって再び高めることに成功した国は史上例がないそうです |
3 | 1999年8月6日 | 8月6日 |
1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分 |
2 | 1999年7月24日 | 一人下田へ | 人生は小川の如く、流れ去った跡に小石が残る・・・・人はそれを思い出と呼ぶ |
1 | 1999年7月12日 | さすらいのモバイラー宣言 | 世界中どこにいても24時間以内に皆様にご返信させていただきます |