宗教画理解の手引き


 

第五章 イエスの生涯 新約聖書

新約聖書(New Testament)

ギリシャ語で編纂

新約聖書は大きく次の4つの部分から成っている。
1.福音書:イエスの生涯と教え(マタイ伝、マルコ伝、ルカ伝、ヨハネ伝の四つの福音書)
2.使途言行録:イエス亡きあとの弟子たちの言行録
3.書簡集:パウロその他の弟子たちが各地の教会や信者たちに送った手紙
4.ヨハネの黙示録:終末思想を表した幻想的な宗教文学

 

父なし子イエス

大工のヨセフがイエスの父親ということになっているが、ヨセフは単なる扶養者で、イエスは彼の子ではない。神の子なのである。神様がマリアという女性を、婚約者のヨセフに断りもなく勝手に妊娠させてしまったのである。
マリアの妊娠を聞いて、身に覚えのないヨセフは仰天し、婚約を解消しようとするが、彼のところへも天使がやってきて事情を告げたので、マリアを妻に迎える。おそらく天使は「悪いようにはしないから」とでも言ったのであろう。後世、ヨセフは聖人に列せられる。

暗黙の約束事として、聖母子のそばになにやら暗い表情か不機嫌な顔の男性がいた場合、その男性はヨセフをあらわしていることが多い。

聖ヨセフ(サン・ホセ)を称える祭りが、スペイン三大祭りのひとつ「バレンシアの火祭り」だ。3月12日〜19日、この火祭りとともに闘牛も始まり、スペインの観光シーズンが幕を上げる。

Virgin Birth(処女懐胎=マリアが処女のままキリストを身ごもったこと)

 

三位一体The Trinity)

「父なる神、神の子、聖霊」

まず神は二つとない唯一のものであること、そして三位一体とは創造主である父としての神、その子である神すなわち人類の罪を贖(あがな)うためにこの世に現れたキリスト、そして信仰に顕(あらわ)された聖霊としての神、この三者が唯一の神の三つの位で現れるという教義。

精霊=Holy Spirit
鳩は精霊のシンボル。精霊とは「神の意を受け、神の分身としてどこへでも飛んでゆけるもの」

サン・ピエトロ大聖堂、光を放つ鳩のステンドグラス

 

受胎告知(The Annunciation)

3月25日
聖霊を放出した神は横着を決め込んで、天使ガブリエリを使者に立て、こう言わせる。
「アベ・マリア」=「おめでとう、マリア」
聖母マリアは天使ガブリエルのお告げにより、自分がイエスを生むことを知らされる。
「見よ、乙女が身ごもって男の子を産む」(旧約聖書中の最大の預言者イザヤの預言)
恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は精霊によって宿ったのである(マタイ伝、ヨセフの夢)

処女妊娠、この無理無体かつ、とんでもない不条理にキリスト教の全てがかかっている。
この無理無体がなければイエス・キリストも生まれて来ないし、今日のヨーロッパ文化というものもない。
この『受胎告知』を主題にした作品のない絵画館は、ヨーロッパのどこにもない。 

ルカ福音書第1章「受胎告知」
「おめでとう、恵まれた方。主が貴女と共におられる」
「マリア、恐れることはない。貴女は神から恵みをいただいた。貴女は身篭って男の子を産む」
「どうしてそのようなことがありえましょうか。私は男の人を知りませんのに」 

宗教画に込められた約束事として、聖母マリアは赤と青の衣をまとっているのが一般的。
赤は神聖な愛、青は天の真実を象徴している。持ち物の約束事のことをアトリビュートというが、「受胎告知」では小道具として聖書(旧約)を開いている。

人間と神の仲介役である大天使ガブリエルのアトリビュートは「白百合」天使は伝令使としての笏か、純潔のシンボルとしての白百合の花、またはオリーブの枝を手にしている。差し込む黄金の光(聖霊)の中には、平和の象徴としての鳩が舞っている。

フィレンツェでは特殊事情(町の紋章が白百合)により、オリーブの枝を持つ。
オリーブは平和のシンボル=ノアの箱舟から放たれた鳩が洪水がおさまった証拠に咥えて来た。

レオナルド・ダ・ビンチ ウフィッツ美術館

シモーネ・マルティーニ ウフィッツ美術館

エル・グレコ プラド美術館

フラ・アンジェリコ サン・マルコ修道院

 

無原罪のお宿り

(The Immaculate Conception)

マリアが母アンナの胎内に宿った瞬間から、人間が生まれながらにして持っている「原罪」を免れている。
祝日は12月8日、
スペインのマリア信仰の最大の原動力になる。

『無原罪のお宿り』
(エステバン・ムリ−リョ)
プラド美術館

聖家族 サグラダ・ファミリア(Sagrada Familia)
マリアとイエス、養父ヨセフ、それに時としてアンナを加えたものを言う。
バルセロナ聖家族教会

 

キリストの降誕

やがて月が満ち、マリアはヨセフの故郷であるベツレヘムの馬小屋でイエスを出産する。
ベツレヘム スペイン語でベレン⇒ベレン人形の語源。
1月1日 イエスが割礼を受けた日。

AD
ANNO DOMINI(我等が主の年)ディオニュシウスがADを採用するようローマ教皇に提案したが、その際ちょっとした計算ミスをした。現在ではイエスはBC4年に生まれたとされている。

現在では確実な史料により、ヘロデ王は前4年に死んだことが確認されている。

 

東方三博士の礼拝

その頃、不思議な星に導かれて、東方からやってきた三人の博士たちがいた。彼等はユダヤのヘロデ王のもとを訪れて尋ねる。ユダヤの王として生まれたお方はどこにおられますか?私たちは東方でその方の星を見たので、拝みにきたのです」(マタイ伝第二章)不安にかきたてられた王は三博士をベツレヘムに遣わしイエスのことを調べさせる。しかし博士たちはイエスを拝むとヘロデ王のもとには戻らず立ち去ってしまう。それを知ったヘロデ王は激怒し、新たな王の出現を恐れて、ベツレヘム一体の二歳以下の男児を皆殺しにする。幼児虐待者のことをヨーロッパでは「ヘロデ」という。

「幼児虐殺」(ブリューゲル) ウィーンの美術史美術館


東方とはペルシャ(現イラン)のことで、三人の博士はペルシャ宮廷に使える占星術師で、英語でMAGIマギと呼ばれる。=MAGICの語源とされる。
星の導きでイエスを訪ねてやって来た三博士は、初めてイエス・キリストを礼拝したユダヤ民族以外の人々ということで、後に世界宗教となるキリスト教の将来を象徴するもの。

クリスマスは12月24日のイブに始まって1月6日まで続く。1月6日は東方三博士がイエスに贈り物をした日である。

三つの捧げ物とは

  1. 黄金=神の国の王の栄光

  2. 乳香(にゅうこう)=崇高な神性

  3. 没薬(もつやく)=死、受難

聖書には博士の人数は書いてないが、捧げ物が三種であることから後に三博士とされた。

三博士は一つには、老年、青年、壮年の世代を示すことで、キリスト教が万人の心の支えになるという普遍性を象徴し、もう一方、デューラーの絵に見られるように、ヨーロッパ、アジア、アフリカの三大陸を描くことで、世界宗教としてのキリスト教の普遍性を表現している。

東方三博士の礼拝(ジョット) スクロヴェーニ礼拝堂

ジョットの絵の画面中央の夜空に長い尾を引く星は、ハレー彗星と見られている。当時、彗星は不吉な出来事の前兆とされたが、ジョットはその威容を救世主誕生を告げる星に引用した。1986年のハレー彗星大接近の際に、探査用の人工衛星が「ジョット」と名付けられた。占星術は当時では最先端の天文学であり、その先進地域である東方=ペルシャの権威ある人々に礼拝を受けたという点にこの場面の意義がある。さらに、聖書そのものが東方の書物(母子ともにユダヤ人)だという事実も忘れてはならない。

聖母子とヨセフのエジプト行
それでもイエスは無事だった。その前に天使がヨセフの夢枕に立ち、「幼子とその母を連れてエジプトに逃げなさい」と告げたからだ。

 

キリストの洗礼

大工の子イエスを宣教の道に歩ませたのは、洗礼者ヨハネであった。今では洗礼も頭にちょいちょいと水をかける程度だが、ヨハネがイエスに洗礼を施した当時は、ヨルダン川に蹴おとして頭を押さえ付け、溺死寸前になったところを引き上げるといった厳しいもので、一度死んで新たに生まれ変わるという意味を持っていた。

洗礼者ヨハネは、毛皮を着て描かれることが多い。
ラクダの毛皮をまとい、イナゴと蜂蜜を食料にする荒野の修行僧であるヨハネは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と説き、
「自らの罪を悔い改める」ための儀式である洗礼を重視した。

ヨハネの母エリザベトとイエスの母マリアは親戚であった。(ルカ1:36)。イエスの最初の弟子とされるシモン・ペトロとアンデレが、以前はヨハネの弟子であったとしている。

キリスト教において、伝統的にヨハネはイエスの先駆者として位置づけられている。このため東方正教会では先駆授洗(Forerunner)の称号をもって呼ぶ。カトリック、東方正教会、聖公会などで聖人とされ、誕生、斬首、首の発見のそれぞれが祭日とされる。洗礼名としても好まれ、他のヨハネと区別するため、ジャン=バティスト(フランス語)ととくに呼ぶこともある。

『キリストの洗礼』(エル・グレコ)
プラド美術館

『キリストの洗礼』(フランチェスカ)
ロンドン、ナショナル・ギャラリー

レオナルド・ダ・ヴィンチの師ヴェロッキオの「キリストの洗礼」
ウフィッツィ美術館

この絵は師匠ヴェロッキオの作品であるが、ダヴィンチも弟子の一人として制作に参加した。ダヴィンチが描いたのは、背景と一番左の天使である。自分の作品よりあまりにも優れているこの天使を見たヴェロッキオは、感動し、二度と絵筆を取ることはなかったという。

洗礼者ヨハネの斬首事件
舞姫サロメはヘロデ王の前での舞の褒美に「聖ヨハネの首を!」所望したため、 洗礼者ヨハネは悲劇的な死を遂げる。その首は盆に載せて運ばれ、少女に渡り、少女はそれを母親に持って行った(マタイ伝14章)

ヨハネは当時の領主ヘロデ・アンティパスの結婚を非難したため、捕らえられ、首をはねられて処刑された。
ヨハネの死の顛末は後にオスカー・ワイルドの「サロメ」でも有名となる。(ちなみに聖書には「サロメ」という女性の名前は書かれていない。)

 

放蕩息子

ルカの福音書
悔い改める心とそれを許す心の物語

兄:「私は何年も父上に仕え、言いつけに背いたこともない。そんな私のための宴席に用意してくれたことのないご馳走を、なぜ娼婦に財産を使い果たした弟のために用意するのですか」

父:「息子よ、お前はいつも私の側にいる。私のものは、すべてお前のものだ。しかし、あの弟は死んでいたのに生き返ったのだ。いなくなった者がみつかったのだから、祝宴を開いて喜ぶのは当たり前でないか」ルカ15

弟は兄に無いものを持っている=「悔い改め」の心。
愛は、自分の功績によって得られるものだという驕りが、兄にはある。

『放蕩息子の帰還』(レンブラント)エルミタージュ美術館

レンブラントの遺作となったこの「放蕩息子の帰還」は、人間の内面的な模写ではレオナルド・ダ・ヴィンチをも上回るほどの境地を誇った巨匠の人生の総決算ともいうべき作品。
愛は恵みであり、自ら獲得するものではない、というイエスの教えをここまでみごとに視覚化してみせた絵はない。不器用に突き出した手⇒これほど温かみをもった手の表情を他の画家の作品に見出すことはできない。言わば究極の自然体を表現している。

 

キリストの奇跡

キリストが公衆の前で行った最初の奇跡。
ガラリアのカナという村での婚礼の席で水を葡萄酒に変えた。

「カナの婚礼」(ヴェロネーゼ) ルーヴル美術館

山上の説教
幸いなるかな、貧しき者。天国はその人のものである。
幸いなるかな、悲しむ者。その人は慰められん。
幸いなるかな、柔和なる者。その人は地を継がん。

人、もし汝の右の頬を打たば、左をも向けよ…・
汝らの敵を愛し、汝らを責むる者のために祈れ…・
一日の苦労は一日にて足れり…・
求めよ、さらば与えられん…・・

幸いなるかな、貧しきもの
敵を愛し、汝らを迫害するもののために祈れ
ユダヤ教=富に肯定的⇒富は美徳⇒弱者への呼びかけ=革新的
ユダヤの律法=試す神、裁く神、怒る神⇒超越的な愛=許す神、愛する神

よきサマリア人
ある時、ユダヤの旅人が追い剥ぎにあって衣服を奪われた上に重傷を負わされた。ところが、通りかかったユダヤ教の祭司も、同じユダヤ民族であるレビ人も見て見ぬふりをして助けようとしない。
結局助けたのは、ユダヤ人が軽蔑し、敵視していた隣国のサマリア人で、彼は旅人を介抱した上に宿屋まで運び、主人に金を渡して世話を頼み、不足が出れば帰路に支払うとまで申し出る。

旧約聖書に汝の隣人を愛せよとありますが、誰が隣人なのか?
「その人を助けた人です」
「行って、あなたも同じようにしなさい」
ルカ伝
10
真の意味での隣人愛とは単に隣人で「ある」こと以上に、隣人に「なる」ことと説く。

伝道師を目指したゴッホ
牧師の家に生まれたゴッホの言葉=「宗教はうつろい、神は残る」

ピストル自殺を試みて失敗、一昼夜に渡って苦悶したあげくに絶命した彼の葬儀は、キリスト教が自殺を禁じているために教会で行うことができなかったのだ。みずから「よりサマリア人」たらんとして、持てるもののすべてを貧しい人々と分かち合おうとして果たせなかったことを思えば、ゴッホの最後はあまりにも哀れである。ゴッホの「よきサマリア人」は自分で自分の耳を切り落としてしまった「直後に描かれている。

シモン家の饗宴
マグダラのマリアは「主に香油をぬり、自分の髪の毛で、主の足をふいた」

(ヨハネ伝 12:1-8)
過越の祭の六日まえに、イエスはベタニヤに行かれた。そこは、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロのいた所である。イエスのためにそこで夕食が用意された。
その時、マリヤは高価で純粋なナルドの香油一斤を持ってきて、イエスの足にぬり、自分の髪の毛でそれをふいた。すると、香油のかおりが家にいっぱいになった。

「シモン家の饗宴」(ヴェロネーゼ) ヴェルサイユ宮殿、ヘラクレスの間

 

エルサレムへの入場

イエスの決心
殺される結果になることを承知の上で、中央のエルサレムに乗り込み、そこで堂々と自分の信念を述べて、世の多くの人々の心に救いを与えよう!

キリストはエルサレムに向かう道すがら弟子たちに不吉な予告をした。
「わたしは都で十字架に掛けられ、3日後に蘇るだろう」と。キリスト受難劇の始まり。

イエスがエルサレムに乗り込んだのは、ユダヤ人が一年の内で最も大切にしている過越しの祭りの直前だ。全土からたくさんのユダヤ人が集まってくるこの時期を、イエスは特に選んだといわれている。イエスがエルサレムに入ったのは日曜日。人々に教えを説くことができたのはたった5日間だった。

 

最後の晩餐

木曜日の晩、イエスは弟子たちと最後の会食を行う。

この晩餐でイエスはパンは私の肉体、葡萄酒を私の血と言って弟子たちに分けた。聖体拝領の始まり)

『最後の晩餐』(レオナルド・ダ・ヴィンチ)サンタ・マリア・デレ・グラッツィ寺院

『弟子たちの足を洗うキリスト』(ティントレット) プラド美術館

最後の晩餐のとき、イエスがみずから謙虚の見本として弟子たちの足を洗ってやった(ヨハネ福音書第13章)。イエスが洗っているのはペテロ。

晩餐の後、師弟はエルサレムの城壁の外に出て、ゲツセマネの園へ行った。オリーブの老樹が茂るオリブ山の麓でイエスが悲しみに打ちひしがれて祈るくだりは、新約聖書で最も感動的な場面だ。

裏切り者のへつらい 死の接吻
そのうちに、裏切り者のユダを先頭に、イエス祭司長らがやってきた。まだ夜であたりは暗い。人違いをしないように、あらかじめ打ち合わせておいた通り、ユダはイエスに近寄ると「先生」と言って接吻した。これは「死の接吻」と言われ、ゴッドファ−ザ−などでも抹殺する相手に接吻するシーンが描かれている。

『首を吊ったイスカリオテのユダ』(ロレンツェッティ)

 

ペテロの否認

バッハ「マタイ受難曲」
受難曲とは、中世以来、復活祭に教会で朗誦されていたイエス受難の物語に音楽をつけたもので、バッハの「マタイ受難曲」はバロック音楽の金字塔である。 マタイ伝を台本に、
3時間半の壮麗な歌唱と管弦楽のドラマが展開する。西洋音楽史上の最高傑作にこの曲をあげる人も多く、無人島に一冊だけ持って行く書物のベスト1が聖書とすれば、音楽のベスト1はこの曲になりそうである。

「ペテロの否認」が登場するのは、曲の後半部、イエスの審問に続く場面である。 未明の空に、押し殺したペテロの鳴き声が響いていくかのようなこの独唱部分ほど、人というものの弱さを物語る音楽はない。ペテロが号泣した未明こそが、新しい信仰の夜明けであった。

ペテロが号泣のなかで得た悔い改めの念⇒逆さ十字の磔⇒キリスト教徒に評価⇒サン・ピエトロ大聖堂

誰も寝てはいけない⇒ゲッセマネの園で眠ってしまった弟子たちの敗北⇒キリスト教徒の精神的なモデル

 

キリストの磔刑

ピラトはイエスを尋問して、直ぐに無実の罪であることを知り、釈放してやろうとしたが、祭司長らに扇動された群集は益々激しく「十字架につけろ」と叫び続けた。ピラトはかえって騒動が起こりそうなのを見て、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き返した。(マタイ伝27章)

   
金曜日の午前9時、処刑はその日のうちに行われた。
生身の人間の手足を大きな釘で打ち付け、さらしておくという残忍極まる処刑法は、エトルリア人が敵の捕虜を生贄として神に捧げた儀式から、ローマ人が考案したと言われる。十字架の死は、あらゆる死の中で最もみじめなものだ。

イエスの場合は、自分が「はりつけ」になる70キロの重い十字架を担がされ、ピラトの官邸から処刑場であるゴルゴダの丘まで歩かされた。徹夜の尋問の後、鞭打たれ、茨の冠をかぶせられ、重い十字架を担いで坂道を登らされたイエスは途中で何回も倒れた。
その道は今でも、悲しみの道=ヴィア・ドロローサとしてエルサレム旧市街に残っている。

上方を振り仰ぐイエスの表情は、父なる神から与えられた運命にすすんで立ち向かうかのように見える。

闘牛のケープさばき=ベロニカ
エルサレムに住む敬虔な主婦ベロニカは、十字架を背負ってゴルゴタ(されこうべ)の丘を登るキリストの苦難の姿に心を打たれ、その額からしたたり落ちる血と汗をベールで拭ったところ、荊の冠を付けたキリストの顔がその布に写し出された。
キリストの顔を拭うベロニカが両手で布を持っているように、マタド−ルが両手でケープを持ち、牛を体ぎりぎりに通過させる極めて危険な技術。闘牛は牛一頭ごとに三幕劇によって演じられる。

ピカド−ルが馬上から槍で牛を突く。 裁判
バンデリ−リャが銛を打ち込む。 死の宣告
マタド−ルがとどめを刺す。 処刑

ヴェロニカは、伝説上の聖女で聖書には登場しない。イエスが十字架の重さに喘ぐのを見かねて、歩み寄り、イエスの顔の汗を拭った。その時、不思議なことに、この布にイエスの顔が写ったという。VERA ICON(真の画像)がVERONICA(ヴェロニカ)の名前の由来である。ICONは英語ではアイコン

わき腹の傷
両足首が束ねられた三本釘で、足台がない。釘は両の手のひらに打たれているが、これでは体の重みで手のひらが裂けてしまい、ずり落ちでしまうという。刑の執行にあたったローマの兵士は、さすがに憐れと思ったのか、十字架につけられたイエスの右わきを槍で突いて、出血多量により早く死ねるようにしてやった。そのため、イエスは半日で絶命した。槍の穂先はサン・ピエトロ寺院の聖遺物の一つになっている。
異説:
「なに、もう死んでしまったのか」とロンギスという一人の兵士がイエスの右脇を槍で突いたところ血と水が流れてきた。

ゴルゴダ
一人の人間の死のありさまが、これほど徹底して追憶され続ける例は、人類史全体を眺めてみても見当たらないだろう。最大の理由は、イエスの十字架での死が、神と新しい契約を結びなおすために差し出された犠牲としての死だったということにあるだろう。それまで神への生贄とされてきた子羊や鶏に代わって、神の子自身が十字架に架かったということにおいて、ぬぐいようのない思いを抱いている。
自責の念、感謝⇒献身的な愛の究極の形

イエスの肉体的な苦痛のリアルな視覚化の最高峰⇒十字架の柱さえも苦痛に歪む

『ゴルゴタの丘』(マンテーニャ) ルーヴル美術館 

 

十字架降下

十字架のすぐ下に聖母マリア、マグダラのマリア、ヨハネを描くのが一般的。
マグダラのマリア=マリー・マドレーヌ(仏)マグダラのマリアのアトリビュートは香油の壷。

マグダラのマリアは、悪魔に憑かれていたのをイエスに救われ、以後はイエスに従い、十字架刑を見届ける。身にボロの代わりに髪の毛をまとったことから、全身を毛髪でおおった姿で描かれる。

『十字架降下』(ルーベンス) アントワープ、ノートルダム教会

『マグダラのマリア』(ティツィアーノ)エルミタージュ美術館

ピエタ 
ピエタとはイタリア語で「慈悲」「哀れみ」を意味する。

キリストの埋葬

『キリストの埋葬』(カラヴァッジオ) バチカン美術館

 

イエスの復活

意外にもキリストが墓からまさに復活する肝心のこの場面は聖書にも記されていない。
復活のキリストは赤い衣の姿で描かれるのが約束事

ノリ・メ・タンゲレ=私に触れるなのラテン語
イエスが「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。イエスは言われた。「私にすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから」(ヨハネ伝20章)

イエス・キリストは復活後、40日の間、地上に留まり、しばしば弟子たちの前に姿を現し、神の国について語ったという。そして、40日目、かつてイエスが孤独な祈りを捧げたオリーブ山の頂から、雲に乗って昇天する。

『ノリ・メ・タンゲレ』(ティツィアーノ) ロンドン、ナショナル・ ギャラリー

 

最後の審判 天秤を持った天使

金持ちが天国へ入ることは、ラクダが針の穴を通るよりもむつかしい」とイエスは諭した。

最後の審判とは世界の終末に再び出現したキリストが人類すべてに下す審判のこと。
この審判によって生前に善行を積んだ人々は、死から蘇り天国に召され、生前に悪行を重ねた人々は地獄に落とされることになっている。封印された悪魔と神との最終決戦場のことをアルマゲドンという。

「最後の審判」(ミケランジェロ) システィーナ礼拝堂