5.イエスの生涯その2

エルサレムへの入場

イエスの決心=殺される結果になることを承知の上で、エルサレムに乗り込み、自分の信念を述べて、世の多くの人々の心に救いを与えよう! キリストはエルサレムに向かう道すがら弟子たちに不吉な予告をした。 「わたしは都で十字架に掛けられ、3日後に蘇るだろう」と。 キリスト受難劇の始まり。

イエスがエルサレムに乗り込んだのは、ユダヤ人が一年の内で最も大切にしている過越しの祭りの直前だ。全土からたくさんのユダヤ人が集まってくるこの時期を、イエスは特に選んだといわれている。イエスがエルサレムに入ったのは日曜日。人々に教えを説くことができたのはたった5日間だった。

最後の晩餐

木曜日の晩、イエスは弟子たちと最後の会食を行う。この晩餐でイエスはパンは私の肉体、葡萄酒を私の血と言って弟子たちに分けた。(聖体拝領の始まり) 最後の晩餐のとき、イエスがみずから謙虚の見本として弟子たちの足を洗ってやった(ヨハネ福音書第13章)。イエスが洗っているのはペテロ。晩餐の後、師弟はエルサレムの城壁の外に出て、ゲツセマネの園へ行った。オリブ山の麓でイエスが悲しみに打ちひしがれて祈るくだりは、新約聖書で最も感動的な場面だ。

裏切り者のへつらい 死の接吻そのうちに、裏切り者のユダを先頭に、イエス祭司長らがやってきた。 まだ夜であたりは暗い。 人違いをしないように、あらかじめ打ち合わせておいた通り、ユダはイエスに近寄ると「先生」と言って接吻した。 これは「死の接吻」と言われ、ゴッドファ−ザ−などでも抹殺する相手に接吻するシーンが描かれている。

ペテロの否認

バッハ「マタイ受難曲」=受難曲とは、中世以来、復活祭に教会で朗誦されていたイエス受難の物語に音楽をつけたもので、バッハの「マタイ受難曲」はバロック音楽の金字塔である。 マタイ伝を台本に、3時間半の壮麗な歌唱と管弦楽のドラマが展開する。西洋音楽史上の最高傑作にこの曲をあげる人も多く、無人島に一冊だけ持って行く書物のベスト1が聖書とすれば、音楽のベスト1はこの曲になりそうである。「ペテロの否認」が登場するのは、曲の後半部、イエスの審問に続く場面である。未明の空に、押し殺したペテロの鳴き声が響いていくかのようなこの独唱部分ほど、人というものの弱さを物語る音楽はない。ペテロが号泣した未明こそが、新しい信仰の夜明けであった。

ペテロが号泣のなかで得た悔い改めの念⇒逆さ十字の磔⇒キリスト教徒に評価⇒サン・ピエトロ大聖堂  

誰も寝てはいけない⇒ゲッセマネの園で眠ってしまった弟子たちの敗北⇒キリスト教徒の精神的なモデル

キリストの磔刑

ピラトはイエスを尋問して、直ぐに無実の罪であることを知り、釈放してやろうとしたが、祭司長らに扇動された群集は益々激しく「十字架につけろ」と叫び続けた。 ピラトはかえって騒動が起こりそうなのを見て、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き返した。(マタイ伝27章)
金曜日の午前9時、処刑はその日のうちに行われた。 
生身の人間の手足を大きな釘で打ち付け、さらしておくという残忍極まる処刑法は、エトルリア人が敵の捕虜を生贄として神に捧げた儀式から、ローマ人が考案したと言われる。十字架の死は、あらゆる死の中で最もみじめなものだ。

イエスの場合は、自分が「はりつけ」になる70キロの重い十字架を担がされ、ピラトの官邸から処刑場であるゴルゴダの丘まで歩かされた。徹夜の尋問の後、鞭打たれ、茨の冠をかぶせられ、重い十字架を担いで坂道を登らされたイエスは途中で何回も倒れた。上方を振り仰ぐイエスの表情は、父なる神から与えられた運命にすすんで立ち向かうかのように見える。

闘牛のケープさばき=ベロニカエルサレムに住む敬虔な主婦ベロニカは、十字架を背負ってゴルゴタ(されこうべ)の丘を登るキリストの苦難の姿に心を打たれ、その額からしたたり落ちる血と汗をベールで拭ったところ、荊の冠を付けたキリストの顔がその布に写し出された。キリストの顔を拭うベロニカが両手で布を持っているように、マタド−ルが両手でケープを持ち、牛を体ぎりぎりに通過させる極めて危険な技術。 闘牛は牛一頭ごとに三幕劇によって演じられる。

ピカド−ルが馬上から槍で牛を突く。 裁判
バンデリ−リャが銛を打ち込む。 死の宣告
マタド−ルがとどめを刺す。 処刑

ヴェロニカは、伝説上の聖女で聖書には登場しない。 イエスが十字架の重さに喘ぐのを見かねて、歩み寄り、イエスの顔の汗を拭った。 その時、不思議なことに、この布にイエスの顔が写ったという。 VERA ICON(真の画像)がVERONICA(ヴェロニカ)の名前の由来である。 ICONは英語ではアイコン

わき腹の傷=両足首が束ねられた三本釘で、足台がない。釘は両の手のひらに打たれているが、これでは体の重みで手のひらが裂けてしまい、ずり落ちでしまうという。刑の執行にあたったローマの兵士は、さすがに憐れと思ったのか、十字架につけられたイエスの右わきを槍で突いて、出血多量により早く死ねるようにしてやった。 そのため、イエスは半日で絶命した。槍の穂先はサン・ピエトロ寺院の聖遺物の一つになっている。異説:「なに、もう死んでしまったのか」とロンギスという一人の兵士がイエスの右脇を槍で突いたところ血と水が流れてきた。

ゴルゴダ=一人の人間の死のありさまが、これほど徹底して追憶され続ける例は、人類史全体を眺めてみても見当たらないだろう。最大の理由は、イエスの十字架での死が、神と新しい契約を結びなおすために差し出された犠牲としての死だったということにあるだろう。 それまで神への生贄とされてきた子羊や鶏に代わって、神の子自身が十字架に架かったと。

十字架降下

十字架のすぐ下に聖母マリア、マグダラのマリア、ヨハネを描くのが一般的。マグダラのマリア=マリー・マドレーヌ(仏)マグダラのマリアのアトリビュートは香油の壷マグダラのマリアは、悪魔に憑かれていたのをイエスに救われ、以後はイエスに従い、十字架刑を見届ける。

ピエタ ピエタとはイタリア語で「慈悲」「哀れみ」を意味する。

イエスの復活

キリストが墓から復活する肝心の場面は聖書にも記されていない。復活のキリストは赤い衣の姿で描かれるのが約束事

ノリ・メ・タンゲレ=私に触れるなのラテン語 イエスが「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で「ラボニ」と言った。 「先生」という意味である。イエスは言われた。「私にすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから」(ヨハネ伝20章)

イエス・キリストは復活後、40日の間、地上に留まり、しばしば弟子たちの前に姿を現し、神の国について語った。そして、40日目、オリーブ山の頂から、雲に乗って昇天。 

最後の審判 天秤を持った天使=「金持ちが天国へ入ることは、ラクダが針の穴を通るよりもむつかしい」とイエスは諭した。最後の審判とは世界の終末に再び出現したキリストが人類すべてに下す審判のこと。この審判によって生前に善行を積んだ人々は、死から蘇り天国に召され、生前に悪行を重ねた人々は地獄に落とされることになっている。封印された悪魔と神との最終決戦場のことをアルマゲドンという。