第63回 黒船祭り

2002年5月18日


 

タウンゼント・ハリスとペリー提督(右)に敬意を表して・・・・

日米国旗を配したタイピン

黒船祭り記念式典
在日米海軍司令官 R.C.チャップリン少将の挨拶
ニューポート市議会 MRSナポリターノ議員の挨拶

パレードて市民に応える
ハワード・ベーカー駐日米国大使と
石井下田市長(右)


 

第63回黒船祭りに参加された
米第7艦隊「Cowpens」号乗組員の皆様に敬意を表し、
アメリカの人々にとって文字通り「第二の国歌」とも呼ばれる
「美しきアメリカ」を贈ります。


America the Beautiful

Oh beautiful for pilgrim feet,
ああ、美しき 先達の足跡
Whose stern, impassioned stress
厳しい 心打つ信念
A thoroughfare for freedom beat
自由を求める道は
Across the wilderness!
大荒野を 横切って
America! America!
アメリカ!アメリカ!
God mend thine ev'ry flaw,
主は 汝の瑕疵(きず)を正し
Confirm thy soul in self control,
魂を 汝の手に委ねられる
Thy liberty in law!
自由の法の下に!

<訳:野上絢>
(2001年5月作成)


 

旅のスナップ

黒船祭り公式パレード 第7艦隊派遣のイージス艦、カウペンズ号 下田湾遊覧船と、停泊中の米第7艦隊

 

在日米海軍司令官 ロバートC、チャップリン少将挨拶(抜粋)

1854年3月31日、日米和親条約が締結された時、下田はアメリカ人に開放された最初の港になりました。以来、下田はアメリカの船員にとって人気のある港になりました。ペリー提督は、その港の美しさと、街並みが整っていて綺麗であることを称えました。そして選ばれるべくして選ばれた最良の港だと述べました。この港は外洋の影響から守られ、出入港が易しく、黒船を停泊させるにも充分な広さがありました。ペリー艦隊の水兵も海兵隊員も下田の人たちが礼儀正しく、心が暖かく、人懐っこいことを知りました。彼らは、後々まで下田と下田に住む人たちの魅力と暖かさを享受した多くの水兵や海兵隊員の第一陣になったのです。

こうした最初の、しかも試みとして始められた邂逅以来、永年に亘り、日米両国の間に友情と通商の絆が育っていきました。私たち米海軍の心の中で、下田は特別の意味を持っています。というのは150年前に最初にこの地へ足を踏み入れたのが、米海軍だったからです。

日米両国の友情をこの下田の地でお祝いできることは、真に尤もなことなのです。なぜなら、この地で最初に日米の誠実な関係が生まれ、この地で地元の人たちが、何度となく、異文化を持つ外国の人たちとも友情の絆を結ぶことが出来るというお手本を見せてくれたからです。


 

ニューポート市議会議員 ジーンマリー・ナポリターノさんの祝辞(抜粋)

私たちは、世界中の友人と同盟国の皆様、とりわけテディー・ルーズベルト大統領の人間の四つの基本的な自由を信ずる皆様に、特別な敬意を抱いております。

                                    第一に、世界中での  言論と表現の自由
                                    第二に、世界中での  信教の自由
                                    第三に、世界中での  貧困から解き放たれての自由
                                    第四に、世界中での  恐怖から解き放たれての自由

ニューポート出身のマシュー・ガルブレース・ペリー提督は、優れた国際的な海軍士官であり、1854年の日米和親条約の締結を実現したその先見の明は、今日、誰もが認めるところでございます。この日米和親条約は、相互の信頼と友情に基づいたものでありました。ニューポートの姉妹都市であります下田市は、最初に開港された港になったのであり、これが、両国の近代化と繁栄をもたらしたのであります。私たちの関係の基礎は、先人の勇気と誠意、そして堅忍不抜の精神に根ざしているのであります。

この条約の締結を記念して1934年に開始された黒船祭りは、以来、私たち相互の敬意と友情を深めるのに大きな役割を果たし続けております。異文化に対する相互理解の重要性を若い人たちにこそ理解していただこうと、ニューポート市と下田市は互いに文化交流を続けてまいりました。今年も私たちは、ホームステイで来訪する多くの下田市の学生の皆様に、再び私たちの腕を広げ、家庭を、そして心を開きます。

私たちは、下田市民の皆様がかつて私たちの町出身のペリー提督に下さったと同じ温かなご厚意と敬意とを、今も変わらず私たちにいただいていることに、心から感謝申し上げる次第でございます。