追悼の言葉


 

   本日 平和祈念祭に臨み 元姫路海軍航空隊員として 戦没者の御霊の前で謹んで追悼の言葉を申し上げます

 先の大戦中 紅顔の諸兄が 沖縄を始めとする各地において 愛する家族と祖国の平和のために その肉体と精神の総てを 捧げられてから 五十六年の歳月を経た今日 このように立派な記念碑の前に立った私は 往時を偲び 万感を込めて 在天の英霊に追悼の誠を捧げると共に 加西市長をはじめとする平和祈念碑保存会の皆さんに 厚くお礼を申し上げます

 本日は遠く九州の地から 特攻出撃基地のあった鹿児島県串良町長が 御出席とのことですが 串良町主催の慰霊祭は本年三十二回を迎えます

 また諸兄らの最後の地 沖縄では 戦後五十年を期に沖縄県が建設した「沖縄県平和の礎(いしじ)」の前で 昨年は米国大統領が世界に向け 平和のメッセージを送り また本年六月には小泉総理が慰霊式典に出席し 刻銘された貴兄らの氏名を含む二十三万七千人を超える日米両国の 沖縄戦没者の平和への願いを全世界に発信しております

 戦争中 本市北條町の小西順治様方で 私と共に 肉親も及ばない格別のお世話になった 今は亡き同期生 後藤惇君の出撃前夜の言葉を忘れることは出来ません

「我々若者の 家族や国を愛する心意気が 後世に語り継がれれば 日本の国は精神的に敗けない平和な国になることを信じて出撃する 後を頼む」と言い残しました

 このような 今は亡き 英霊たちの願いがここ加西市鶉野の地から 串良 沖縄を経て全世界に伝えられようとしています

 当時七歳と五歳の小西様方のお孫さんたちによって 戦没諸兄の願いが 語り継がれ この平和祈念碑建設の中心的役割を果たしていただいたことを伺い 在天の御霊と共に 加西市民のご厚情に心から感謝申し上げます

 本日の式典を機に 軍艦旗の翻る この平和祈念碑の末永い保存が 平和な人づくり 国づくりの礎となることを信じ 追悼の言葉とさせていただきます

 

        平成十三年十月七日

      元海軍々人側代表

              海軍第一期飛行専修予備生徒 □□□□