東京白鷗遺族会」
第百二回 戦没者慰霊祭

2002年4月13日

 

本殿と法政大学高層校舎

祭文奏上

靖国神社大鳥居

 

第百二回 戦没者慰霊祭
で奏上した祭文の全文

祭文

平成十四年度、東京白鷗遺族会、第百二回戦没者慰霊祭に臨み、先の大戦において、その尊い生命をに捧げられた、元海軍飛行科予備学生・生徒出身の英霊の御霊に謹んで祭文を奏上いたします。

今を去る五十七年前の太平洋戦争の末期に英霊の皆様が示された愛国の至情は、日本民族の誇りとして、永久に語り継がれなければならない国家の存立要件として、重要な事蹟であると信じております。

平和な社会が続き、戦争を語り継ぐ世代の人々が少なくなっている現在、戦後五十年を機に、沖縄県が、摩文仁(まぶに)の丘に建てた「平和の礎(いしじ)」には、米兵一万五千余名を含む、二十三万を超える戦没者の氏名が刻印されており、一昨年は、米国大統領がここを訪れ、全世界に向け、平和のメッセージを送り、またその翌年には、わが国の総理も、この礎(いしじ)の前で、沖縄戦没者への追悼の誠を捧げております。

私たち生存者は、戦没者の平和に対する熱い願いを後世に語り継ぐ責任を、改めて強く感ずるものがあります。

終戦五十年、靖國神社特別展の記録、「散華の心と鎮魂の誠」の中で、二十歳の学生の記述が、今も私の心に強く残っています。

「戦争で亡くなられた人たちの本当の気持ちを子供たちに傅えるため、学校の先生になることをここに決意します」とありました。

英霊の皆様の遺書を読み、大きな感銘を受けた若者の人生に、強い決断を与えたものでした。

さらに遺書の中で、「必ず敵を撃滅して、日本の國を守ります。近くの山に咲く桜花は、私の立派に生まれ変わった姿です」と書き残した願いは、今日も日本の山々に咲き競う山桜となって、皆様の祈りを私たちに傅えております。

また、「この戦争で勝利を得ることは困難であっても、我々の國を愛する真心が語り継がれるならば、精神的に敗けない平和な國になることを信じて出撃するが、後を頼む」と言い残した英霊の願望は、未だ必ずしも実現していないのが現状です。

私たち生存同期生は、八十歳を超える高齢となろうとしていますが、まだ気力と体力は、充分に残っていると思いますので、生命のある限り戦争の歴史を語り継ぎ、英霊の御霊をお慰めすることを改めてお誓い申し上げます。

最後に、英霊の皆様を偲ぶ高松宮妃殿下の御歌を御霊前に捧げます。

惜しみても 惜しみても    なお余りあり

今しこの世に    君等ありせば

                                   平成十四年四月十三日  

東京白鷗遺族会代表

(姫路 操縦)