下田市 三世代意見発表交流大会 講演 
「私の二十世紀」

平成13217日  於: 下田市民文化会館  稲生沢地区代表

 

 

昨年7月、クリントン大統領が沖縄サミットに出席し、摩文仁の丘にある「沖縄県・平和の礎(いしじ)」を訪れ、世界に向って平和のメッセージを送りました。このことは、大学在籍中に戦争に参加し、奇跡的に生き残った私には20世紀最後の年の最も感銘深い出来事となりました。この礎には、1万5千余名のアメリカ兵を含む23万7千名を超える沖縄戦戦没者の氏名が刻まれています。

 今月初め私は東京、市ヶ谷に終戦当時の国際軍事裁判の法廷跡を訪れました。そして、20世紀の戦争の歴史を改めて考えさせられ、本日の発表を行うこととしました。

 思えば昭和20年の春、日本民族の運命を決するアメリカ軍の沖縄上陸作戦に対し、日本の航空部隊は神風特別攻撃隊を編成し、世界史上例を見ない壮絶な戦いを展開しました。飛行機に800瓩の爆弾をのせ、搭乗員共々、敵艦に体当りする特攻作戦が発令された時、私たちは全員が志願し参加しました。昨日戦友の出撃を涙で見送った隊員が、今日は微笑を浮かべ、爆音高く離陸していく・・・その繰り返しです。飛行機が無くなると、生き残った私たちは別の基地に集結し、さらに効果的な突入高度・角度が研究され、敵の対空砲火で片手・片足を負傷しても、最後の瞬間まで、目を見開いて飛行機共々体当りする訓練が行われ、それは、人間の行う技ではなく、まさに生きながら神の心境となります。明日出撃の最後の夜を迎え、私は家族や国の平和のため自分の生命を役立てることの出来る満足感で安らかに眠りについた時のことなどを思い出します。「このような作戦で我々の日本の国は勝つことは出来なくても、精神的に敗けない国となるのを信じて出撃する、後を頼む」と言い残して、沖縄の空に散った今は無き戦友たちの願いをかなえるかのように、大統領の沖縄訪問を機に戦争の歴史が見直され、民族の将来を憂うる英霊たちの御魂は、55年を経てようやく安らかになってゆくと私は信じたいのです。

 昭和20年8月15日、終戦を迎えました。「しかし多くの仲間を先に死なせ、自分たちだけが、生きて故郷へ帰ることは申し訳ない。我々の国を愛する心を後世に語り継ぐために、特攻隊員は全員割腹自決をしよう」との意見がでました。2日後の17日9時、搭乗員士官は軍刀を持って飛行場に集合するようとの指令が出ました。数十名の隊員は誰一人異論を述べる者はおりません。不思議な心理状態でした。ところが、若者たちの不穏な動きを知った司令が駆けつけました。司令は、「第一次世界大戦に敗れたドイツの復興は、生き残った学徒兵を中心とした若者の力によるものであった」との歴史の事例を示し、「死ぬより更に苦しく困難な、戦後の復興に努力することが、先に死んだ戦友に報いる道である」との説得が行われ、週間後には全員故郷に帰ることが出来ました。

 戦後数年を経て公務員となっていた私は、この司令が静岡県庁で旧軍人援護の仕事をしていることを知り早速訪問しました。あの時の生命の恩人としてお礼を申し上げると共に、戦死した戦友たちの分まで、平和な社会づくりのために残された生命を捧げることを改めて約束しました。そして、大きな困難に遭遇したとき、自分の体験だけに頼らないで、歴史的に分析・判断することの重要性を学びました。

 

 ところで、私たちの下田市1854年の黒船来航以来、150年近い近代日本の歴史発祥の地であり、その史跡は柿崎の玉泉寺ほか数多く残っています。昭和54年にカーター大統領が下田中学でタウンミーティングを行いました。あの時の下田市民の熱狂的な歓迎ぶりは平和を求める日本人の心を象徴するものであり、その記念碑が城山公園にあります。昭和7年以来、毎年下田で行われている黒船祭に参加する米国第七艦隊の将兵も、先輩の参加した沖縄戦などの歴史を語り継いでいると思います。さらに昭和17年に、賀茂郡教育会の先生方により建てられた柿崎にある吉田松陰の像は、24歳の春、海外密航を図り、又多くの明治維新の指導者を育てた先生の在りし日の雄姿を日本人の心として伝えています。これらの史跡等は下田を訪れる内外の来遊客からも大きな関心が寄せられています。

  下田市民は世界の平和に役立つ歴史的な事実を学び取り、これを全国に発信する国民的な役割があると思っています。私は、益々元気に、若い皆さんと共に、新しい心の世紀、21世紀に向って自信と勇気を持って20世紀の歴史を語り継いでいきたいと念願しております。

 最後に、世代間、国籍の違い、性別等による価値観の相違を理解し合い、特に家庭内及び地域での対話を深めるようにお願いし、本日の発表を終わります。

吉田松陰像
静岡県下田市柿崎、三島神社
昭和17年10月27日に建設。
幕末の風雲急なる時、日本精神の象徴として日本刀を持ち下田港を臨む。